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ビートルズものがたり
日本人初取材に成功 イチかバチか英国へ 星加ルミ子さん

社会 神奈川新聞  2016年11月04日 10:14

音楽エッセイ「私が会ったビートルズとロック★スター」(シンコーミュージック・エンタテイメント)を手に、思い出話を語る星加さん
音楽エッセイ「私が会ったビートルズとロック★スター」(シンコーミュージック・エンタテイメント)を手に、思い出話を語る星加さん

 英国の音楽グループ「ザ・ビートルズ」の単独取材に日本人として初めて成功したのが、音楽評論家の星加(ほしか)ルミ子(76)だ。音楽雑誌「ミュージック・ライフ」(シンコーミュージック・エンタテイメント)の元編集長は51年たったいまも「4人に初めて会った6月15日になると、『記念日ですね』と電話をくださる人がいる」と目を細める。講座を開いたり、関連本の執筆を依頼されたり、と人生の中心にビートルズがいる。

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 「ミュージック・ライフ」がビートルズを初めて取り上げたのは1964年4月号。「話題の“ビートルズ”ピンからキリまで」という6ページの特集だった。宣伝用として提供された顔写真を切り抜き、真っ赤な背景に4人の顔を貼り付けて表紙に採用。「(店で)表紙だけ切り取られる事件が勃発して」。その反響の大きさに驚いた。

 札幌市で生まれた星加は、父親の仕事の都合で小学校4年生の時、青森県八戸市に転居。近くの三沢基地から聞こえてきたFEN(現・AFN、基地関係者向けの放送)をきっかけに英語に興味を持ち、米国のポピュラー音楽に親しんだ。「16歳で知ったエルビス・プレスリーの音楽は雷に打たれたような衝撃があった」と語る。

 ロックは米国の文化、土壌があって生まれるという先入観があった。「英国出身のビートルズに対しては、ロンドンや(巡業先の)ドイツで人気があると知っていたけれど、米国のまねっこでしょと当時は、気に留めていなかった」と苦笑いする。

 進学校の八戸高校に入学したが、2年生の時、実母が他界。六つ下の弟、九つ離れた妹の母親代わりを務めることになった。大学進学を諦めかけた時、父に弁護士や医師など、“士(師)”が付いた資格を取得するよう勧められた。卒業時に父の東京転勤が決まり、一家で上京。東洋女子短期大学の門をたたいた。

 学生時代は興味に任せ、アルバイトに挑戦した。ラジオ局で歌うバイトをした際は「歌手になりたい」と思った。新宿の寄席「末広亭」に入り浸っていた時期は、「落語家もいいな」と考えた。卒業まであと半年。出入りしていた銀座のジャズ喫茶「ACB(アシベ)」で偶然、「ミュージック・ライフ」を手にした。「手伝ってくれる子はいないかな」という編集者のぼやきを見つけ、「これだ!」と心が動いた。翌朝には編集部にいた。

 当時編集長だった草野昌一から赤ペンで囲んだ「ビルボード」誌の1ページを、「訳してご覧」と渡された。ルイ・アームストロングの写真を頼りに、新曲がミュージカルの主題歌であるとひもとき、提出すると「明日から来て」と採用が決まった。

 「雑誌が作られていく様子が分かって楽しかった。“士(師)”は付かないけどまぁ、いいか」。卒業目前、草野に「就職はうちに決まり」と本採用となり、64年に晴れて同誌の編集者となった。

24歳で編集長に


 作詞家としても活動していた草野は多忙となり、入社したばかりの星加に「あんたに任せる」と全権を委任。月の売り上げは1万2千部ほどだった雑誌を広めようと知恵を絞った。

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