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日本将棋連盟指導棋士五段、本紙将棋担当記者
将棋のはなし(78)将棋という縁だけで

カルチャー 神奈川新聞  2018年10月11日 11:11

【2018年10月7日紙面掲載】

 立派な個室に通され、目の前に高そうな料理と酒が並んだ。プロ入り直後の友人F君と、奨励会員である私と某後輩は、ようやく分不相応な場にいることを自覚した。

 20代前半、仕事で行った金沢市でのこと。F君が「先輩に教わった」と気軽に予約したのは、高級料亭だった。創業者が将棋好きで、タイトル保持者や高段棋士が訪れる名店だと知ったのは帰京後。あるベテラン棋士には「君たちだけで行く場所ではない」と叱られた。

 場面を金沢に戻し、食べ終えた三人は考えた。門前払いせず、将棋界の人だからと受け入れてくれたお礼をしなくては。

 そこでF君が一局指南となった。まあ妥当な案である。しかし飛車落ちのハンディ戦で勝ってしまったのが誤算。彼は「変に緩めて感づかれたらかえって失礼」と考えたようだが、私ならどんな手を使ってでも負ける。今も親しい友人だから遠慮なく言うけど、この状況で大切なのは内容より結果でしょ。

 続いてサイン帳を出され、寄せ書きをする。ページをめくると「羽生善治」とか「森下卓」とか、大棋士の署名がたくさん。その価値を下げているようで申し訳ない。そしてとどめが「お代は結構です」のひと言だった。

 将棋という縁だけで本当によくしていただいた。いつか再訪してお礼を言いたかったのだが、その「つる幸」は11月に閉店するという。だからこの場を借りて感謝の意を表したい。あのノドグロの味は忘れません。


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