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神奈川新聞と戦争(78)1941年 食卓を盾に取る防空

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神奈川新聞  2004年06月06日公開  

食糧は「充分に貯蔵してゐる」と虚偽の発表を載せ「各市町村民の退去を認めず」とした1941年10月3日付の神奈川県新聞
食糧は「充分に貯蔵してゐる」と虚偽の発表を載せ「各市町村民の退去を認めず」とした1941年10月3日付の神奈川県新聞

 「政府は各市町村民の退去を認めず、退去者には食糧の配給を行はぬことになつてゐる」。1941年10月3日の神奈川県新聞(本紙の前身)に載った脅迫同然の政府方針には、根拠があった。防空法である。

 同法は日中戦争3カ月前の37年4月に成立、同10月に施行。空襲を防いだり被害を軽減したりするために「陸海軍ノ行フ防衛ニ則応シテ陸海軍以外ノ者」が「灯火管制、消防、防毒、避難及救護」などを担う、と定めた。軍や警察、消防だけでなく、国民一般に防空を義務づけたのだ。

 防空法は、41年11月25日に改正された。真珠湾攻撃のわずか2週間前で、日米戦争が想定されていただろう。改正法では都市からの退去禁止や空襲時の応急消火義務が追加され、罰則も強化された。前回紹介した「これが防空鉄則だ/勝手な準備罷(まか)りならぬ」と題した同年10月3日付の記事は、同法改正を先取りしたものだったといえる。

 水島朝穂、大前治著「検証防空法」によると、この「鉄則」は同時期の新聞各紙に掲載された。同書が引用したのは同2日付の大阪毎日新聞だが、その内容は県新聞と酷似。防空壕(ごう)や救護など、項目別に解説した体裁までそっくりで、各紙が政府発表をそのまま伝えたことがうかがえる。

 しかも、食糧を巡る政府発表には偽りがあった。3日の県新聞には「農林省ではかねてこれに備へ食糧の準備を行ひ充分に貯蔵してゐるから何処(どこ)の家庭でも買溜(かいだめ)の必要はない」とある。

 だが、同書によれば「当時すでに中国大陸の戦況悪化により食糧不足が深刻化し(略)東京都など都市部では米が配給制となっており、たとえ政府でも十分な食糧確保は困難だった」。

 日々の食卓を盾に取り「退去者には食糧の配給を行はぬ」と退去を禁じたことは、強権に虚偽を重ねたものだった。同書は、こうした記事が「国民を縛り付け」たと結論づける。県新聞が読者に植え付けた「鉄則」の責任は重い。


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