1. ホーム
  2. 時代の正体
  3. 時代の正体〈637〉ウチナーのこころ(中) 今に続く非暴力と不屈

記者の視点=報道部・田中大樹
時代の正体〈637〉ウチナーのこころ(中) 今に続く非暴力と不屈

時代の正体 神奈川新聞  2018年09月30日 11:00

写真左から、瀬長さんの写真の前に立つ内村さん=那覇市、阿波根さんの写真と謝花さん=沖縄県・伊江島
写真左から、瀬長さんの写真の前に立つ内村さん=那覇市、阿波根さんの写真と謝花さん=沖縄県・伊江島

時代の正体取材班=田中 大樹】沖縄本島北西部の本部港からフェリーで約30分、紺碧(こんぺき)の海に囲まれた伊江島は「米軍基地闘争の原点」と呼ばれる。

 戦後、住民は米軍による土地の強制接収に抗(あらが)う粘り強い運動を展開した。その先頭に立ったのが、故・阿波根(あはごん)昌鴻(しょうこう)さん=享年(101)。非暴力を貫き、亡くなって16年がたつ今も「沖縄のガンジー」と称される。

 阿波根さんが遺(のこ)した反戦平和資料館「ヌチドゥタカラ(命こそ宝)の家」に足を運ぶと、語り部を受け継いだ館長の謝花(じゃはな)悦子さん(80)が迎えてくれた。車いすに座り、テーブルには県知事選の情勢を報じる地元紙が広げられている。

 「遠くから、ようこそいらっしゃいました」。ひと呼吸置き、ゆっくりと語り始めた。

 「私にはものすごく焦りがある。お会いするのは、これが最後になるかも知れない。だから少しでも、一言でも伊江島のことをお話したい」

■■■

 伊江島は「沖縄戦の縮図」と言える。

 起伏のない地形が悲劇を招いた。第2次世界大戦中、日本軍が飛行場を建設し、米軍も本土爆撃の拠点にすべく1945年4月に上陸した。戦闘は激しく、わずか1週間ほどで住民約1500人が犠牲となった。

 戦禍から2年が過ぎた47年、帰島を許された住民が目撃した故郷は「木一本も、家一軒もなく、焼け野原だった」。その後、8年の歳月をかけて土地を耕し、家を建て、日々の暮らしがようやく落ち着きを取り戻しつつあった55年、土地の強奪が始まった。米軍が演習場整備のために家を焼き払い、畑をつぶす。住民は窮乏し、餓死者も出た。

 「銃剣とブルドーザー」と形容される蛮行。この時、住民を率いたのが阿波根さんだった。沖縄戦で息子を失い、今また土地を奪われた。


阿波根さんの写真と謝花さん=沖縄県・伊江島
阿波根さんの写真と謝花さん=沖縄県・伊江島

 〈乞食するのは恥であるが、武力で土地を取り上げ、乞食させるのは、尚恥です〉

 本島に渡り、そう記したプラカードを掲げて縦断した。この「乞食行進」が沖縄県民に伊江島の窮状を知らしめ、米軍への怒りを喚起した。やがて大きなうねりとなり、圧政と対峙(たいじ)する全県的な抵抗運動「島ぐるみ闘争」へとつながる。

 そして今、住民がひたすらに続けた「無抵抗の抵抗」は辺野古新基地建設の抗議現場に受け継がれている。

■■■

 戦後73年。伊江島に平和は訪れたか。問うと、謝花さんは頭を振った。

 「日本はいかにも平和なようにあります。しかし、伊江島でも、沖縄でも、ずっと戦が続いてきた。私は一日も『戦後』だと思ったことはありません」

 伊江島は今も米軍基地が35%を占める。パラシュート降下や重量物投下の訓練が繰り返され、輸送機オスプレイも飛来する。強襲揚陸艦の甲板を模した着陸帯の工事が進み、F35Bステルス戦闘機の訓練が計画される。周囲わずか22・4キロの島は、在日米軍専用施設の7割が集中し、県民が日々命の危険にさらされる「戦後沖縄の縮図」でもある。

 基地ある限り、沖縄は戦争に巻き込まれる。苛烈な地上戦の記憶を刻む人々には耐えがたい苦しみだ。謝花さん自身、沖縄戦で父を亡くし、医師不足ゆえ病が重症化し、障害を負った。戦争への憤怒が平和希求の源泉だ。

 「地震や台風なら仕方がないと諦めもつく。でも、戦争は人災。人が引き起こすなら必ず止められます」

 語る謝花さんの背後には阿波根さんの写真が掲げられ、遺(のこ)した言葉が添えられていた。

 〈平和の最大の敵は無関心である 戦争の最大の友も無関心である〉
 戦争は止められる。では私たちは、戦禍に道を開く為政者の振るまいにどれだけ抗っているか。本土に暮らす私たちに突きつけられた戒めに思えた。

■■■

 阿波根さんと互いに認め合い、ともに米国の圧政と対峙した政治家がいる。「カメさん」の愛称で親しまれる故・瀬長亀次郎さん=享年(94)=だ。那覇市内の資料館「不屈館」に、次女で館長の内村千尋さん(73)を訪ねた。

 52年4月28日、サンフランシスコ講和条約が発効し、沖縄は日本から切り離され、米国統治下に置かれた。いま、本土は「主権回復の日」と祝い、沖縄は「屈辱の日」と呼ぶ。

 発効を控えた琉球政府創立式典。(現在の県議にあたる)立法院議員が起立し宣誓する中、最後列の瀬長さんはただ1人起立せず、宣誓文の捺印(なついん)も拒否した。宣誓文には、米民政府と琉球住民に対し厳粛に誓う、との文言があった。

 「『自分は沖縄県民に選ばれた。忠誠を誓う相手は米国ではない』と考えていました」

この記事は有料会員限定です。

月額980円で有料記事読み放題/100円で24時間読み放題のコースも。詳しくはこちら


シェアする