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平和つなぐ
広島被爆73年(2)街に息づく継承の志 「延長線上に生きている」

時代の正体 神奈川新聞  2018年08月21日 09:29

自らの体験について語る濱井徳三さん。会場のライブハウスには亡くなった冨恵洋次郎さんの写真(中央)も置かれた=5日、広島市中区
自らの体験について語る濱井徳三さん。会場のライブハウスには亡くなった冨恵洋次郎さんの写真(中央)も置かれた=5日、広島市中区

 「広島原爆の日」から一夜明けた7日、プロ野球広島カープの本拠地マツダスタジアム(広島市南区)はことしも、赤だけでなく緑に染まっていた。

 この夜は中日ドラゴンズとのゲームだった。五回が終了すると、観客が一斉に平和への祈りを込めた緑色と赤色の新聞を掲げた。

 「8月6日は広島にとって特別な日。球団を挙げて平和について考える機会を提供してくれるのはすごいこと」。物心ついた頃からのカープファン、広島県廿日市市の男性会社員(50)が誇らしげに語る。

 核兵器のない平和な世界を祈念する「ピースナイター」は球団や生協ひろしまなどが主催し、2008年から毎年行われている。

 試合はカープが6-2で勝利。ヒーローインタビューで丸佳浩選手は、1カ月前の西日本豪雨による甚大な被害も踏まえて語った。「野球ができることがいかに幸せか感じさせてもらえた試合だった」

 スタジアムは大きな拍手に包まれた。ことし11回目となるピースナイターは、観客が幸福なときを分かち合う中で幕を閉じた。

 地元企業による「被爆電車」の特別運行や球団などによるピースナイター…。広島には行政主導の事業のみならず、平和意識を高めようという、多くの民間事業者や個人の取り組みが息づく。

 薄暗い照明の下でドリンクを楽しみ、ゆったりとした時間が流れるライブハウス(同市中区)。原爆忌を翌日に控えた5日午後、100人ほどの老若男女が濱井徳三さん(84)=同県廿日市市=の被爆証言に耳を傾けていた。

 実家は、現在平和記念公園が整備されている爆心地に近い旧中島本町。戦時中の広島と呉の街を舞台にしたアニメ映画「この世界の片隅に」の作中にも登場する理髪店で、両親と兄、姉と暮らしていた。

 「立派な商業の町で映画館があって、夜になると煌々(こうこう)と電気が付いてね、広島の中心でとてもにぎわっていました」「『お前はどこ行ってもいたずらばかりしよって』って、いつも父親に叱られていました」

 近くの川ではボートや釣りも楽しんだ。やんちゃだったという幼少期を振り返る声は弾んでいたが、そのトーンは少しずつ落ちていった。

 73年前の8月6日、11歳の濱井さんは実家を1人離れ、廿日市市の親戚の家にいた。その日の朝は国民学校初等科(現在の小学校)の校庭で掃除を任されたが、掃除はいつの間にか仲間4、5人での竹ぼうきを使ったチャンバラごっこに変わっていた。

 「先生に捕まったやつもおるし、私たちはうまく逃げて竹ぼうきで校庭をはいておりました。そしたらね、真っ青に抜けるような空がぴかーっと光ったんですよ」

 午前8時15分。ものすごい地響きを感じ、校舎を見てみると窓ガラスは全て割れていた。

 疎開先に顔を出してくれた両親と姉と一緒に祖母の家まで歩き、かぼちゃを食べたのは前日5日。家族は夕方には旧中島本町へ帰っていった。「母が青い日傘を差して姿が見えなくなるまで、疎開先の廊下から見送りました」。濱井さんが遠い目をする。

 原爆投下から2日後。家があった場所の地面を掘ると、黒焦げになった父のノートの端が少しだけ出てきた。持って帰る気にはならず、何も手にせずに疎開先に帰った。

 「両親、きょうだいが死んでないという気持ちはいつもあるんです。

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