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きのこ雲の記憶描く 長崎で被爆、横浜の画家が反戦展出品

話題 神奈川新聞  2018年08月13日 02:00

爆心地から約3.5キロの場所から見上げたきのこ雲を描いた松岡さん=横浜市港北区の自宅兼アトリエ
爆心地から約3.5キロの場所から見上げたきのこ雲を描いた松岡さん=横浜市港北区の自宅兼アトリエ

 100号(162・1センチ×112・1センチ)のキャンパスの中央を立ち上る、焦げ茶色の積乱雲。地上のありとあらゆるものを巻き上げ、こよなく晴れた青空を覆っていく-。

 画家・松岡眞(しん)(本名・眞男)さん(88)=横浜市港北区=がふるさと・長崎で見上げた、今も記憶に焼き付くきのこ雲だ。

 1945年夏。当時15歳、旧制中学3年だった。

 激しさを増す空襲から軍需産業を維持するため、一部をトンネル内に疎開した工場で、特攻艇のエンジン部品を製造していた。

 「マルヨン」と呼ばれた特攻艇は、250キロの爆薬を積み、敵艦に体当たりして撃沈させるために開発された。太平洋を震撼(しんかん)させるとの意味を込め、「震洋」と名付けられた。だがその船体は、ベニヤ板を貼り合わせたものだった。

 「今の若い人は笑うかもしれない」と松岡さん。「でもね、『日本が負けるはずがない』と思っていた」。敗戦間際になっても、動員された学徒に日本の戦況が正しく伝えられることはなかった。

   ◇

 原爆が投下された8月9日午前11時2分。その日は夜勤だった。長崎市中心部を囲む山の中腹、爆心地から約3・5キロ離れた疎開先の屋敷にいた。

 ブーン。爆撃機の音が遠くで聞こえた。「また急降下爆撃か…」。そう思った瞬間。閃光(せんこう)が走り、頭の中が真っ白になった。「目の前でマグネシウムを燃やされたような光だった。何が何だか、分からなくなった」

 天井板が落ち、棚の上の物が降ってきた。はうように玄関まで逃げ、散乱するガラス片の上をはだしで走り抜け、外に出た。山を駆け登り、体を低く伏せた。ふと見上げると、焦げ茶色の柱が夏の青空を突き抜けていた。「なんだ、これは…」。光、ガラス片、きのこ雲。それ以外、原爆投下からの記憶は、どこかあいまいだ。

 ラジオから玉音放送が流れた数日後、自転車で市中心部を走った。トタン板に並べられた性別も分からない遺体と、言葉で表現できない異様な臭い。柱に見えたきのこ雲の下で何が起きていたか、初めて知った。ただ、と松岡さんはつぶやく。「悲惨だとか何とか、思った記憶がない。戦時中だから、人間の神経がまひしていたんでしょうね」

   ◇

 ずっと絵を描き続けてきた。あれから70年。「もう先は長くない。鮮明に残るあの日の記憶を残しておきたい」。筆を執った。2015年に完成した「夏・3.5kmの記憶2(長崎市)」と題した油絵をこの夏、展示会に出品する。

 作品に込めた特別なメッセージはない。「実存は本質に先立つ」。仏の哲学者サルトルの言葉を引きながら、松岡さんはその意味を語った。

 「絵はそこにあるだけでいい。本質は見る人によって変わる」。だから、記憶にある原子雲を見て、こう感じてほしいというものはない。

 「ただ、何かを感じてほしい。感じてもらえたら、ありがたい」

    ◇

 「ノー・ウォー横浜展」が13日から19日まで、県民ホールギャラリー(横浜市中区)で開かれる。松岡さんの作品も展示される。


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