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【核と平和・2013】二つの母子像(下) 被爆と戦う 福島に重ねて

社会 神奈川新聞  2018年07月27日 18:56

新たに取り組んでいる未完の「母子像」を見つめる今口さん=相模原市中央区の自宅アトリエ
新たに取り組んでいる未完の「母子像」を見つめる今口さん=相模原市中央区の自宅アトリエ

 板張りの床に、数十本の筆が転がるアトリエ。画家の今口賢一さん(74)=相模原市中央区=は、完成間近の大作に、何度も色を重ねていく。時に離れ、時にしゃがみ込み、筆をはわせる。

 仮のタイトルは、「母子像」。原爆症に苦しむわが子を抱き、ドクダミの煎じ汁を飲ませる母親。モチーフは30年前の第1作と同様、68歳で亡くなった母ヨシ子さんと、自分自身だ。

  ■ □

 1983年に母が逝去して以来、原爆禍を描き続けてきた。慟哭(どうこく)、苦悶(くもん)、憤怒…。原爆投下直後の被爆者の激情を表現してきたが、一方でもの足りなさもあった。「その後も被爆と向き合い生きていく人々の姿」は、まだ十分に描けていなかった。

 だから22作目の題材に、母とドクダミの記憶を選んだ。今口さんの体を案じ、毎朝ドクダミを煎じて「元気になる薬」と飲ませてくれた母。苦しさの中にともる、小さな希望を描き残したい。2010年暮れ、新たな「母子像」の準備を始めた。

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 筆を執り始めた11年3月。東京電力福島第1原発事故が起こった。内部があらわになった原発建屋を新聞で目の当たりにした今口さんの胸に、苦々しい思いがこみ上げた。

 全身に現れた紫色の斑点、歯茎からの出血、体のだるさ。「体の不調が、いつ現れるのか。あしたか1年後か10年後か。そうやって気にして生きるのが、どんなにつらいか」。自分たち被爆者が味わった苦しみを、福島の人々がまた、経験するかもしれない-。そう思うと、いても立ってもいられず、毎日キャンバスに向かった。

 少し描いては修正。それを繰り返しながら、筆を進めながら、ドクダミを煎じ続けた母の気持ちに思いをはせた。「元気を取り戻して」と、寄り添ってくれた母。今度は自分が、寄り添う側に回る番ではないか。「被爆の不安や悲しみ、苦しさを知る人間がこの国にはたくさんいる。生きることに絶望せず、孤独を抱え込まないでほしい」。福島の人々への願いを、そう筆に込めていった。

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 転機はまた、訪れた。昨年12月、「はだしのゲン」の作者の中沢啓治さんが亡くなった。被爆後の故郷で、中学1年生の時に机を並べた級友だった。

 「ピカドンハゲ」。中沢さんは、原爆によるやけどで毛の生えない頭を、心ない同級生にからかわれた。そのたびに、つかみ合いになった。「不当な差別や偏見を許さない姿は、『ゲン』そのものだった」

 被爆者であることを隠していた今口さんにとって、まぶしい存在だった。

 「今口君。描き続けるのは苦しくて仕方ないね」。訃報に接し、40年近く前に都内で再会した際に中沢さんが向けた言葉が、胸によみがえった。「原爆禍の不条理に『ばかたれめ!』とぶつかっていくように表現し続けた」同級生。「自分なりの表現で、力を振り絞って描き続ける」。同じ表現者として、気付かされた原点に思いを定めた瞬間だった。

 新しい「母子像」。子を見つめる母の顔に、かつて込めた痛憤とは異なる表情を、宿そうと思っている。

(2013.8.7、中尾 浩之)


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