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【核と平和・2013】二つの母子像(上) 原爆禍 戒めを解いた老画家

社会 神奈川新聞  2018年07月27日 18:55

母親の逝去後、原爆を題材に初めて描き上げた「母子像」について語る今口さん=相模原市中央区の自宅アトリエ
母親の逝去後、原爆を題材に初めて描き上げた「母子像」について語る今口さん=相模原市中央区の自宅アトリエ

 大作のタイトルは、「母子像」。原爆が投下された68年前の広島で、負傷したわが子を、ようやく捜し当てた母親が抱きかかえる場面が描かれている。

 6歳の時に広島で被爆した画家・今口賢一さん(74)=相模原市中央区=の作品。モチーフは、自身と母ヨシ子さんだ。

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 原爆禍の絵だけは描くまい-。

 画家として身を立ててきたものの、今口さんはそう心に決めていた。被爆者であること自体を隠して生き、「描き切れない」と過去の苦しい記憶を胸に潜めた。だが1983年暮れ、母の死が、自らへの戒めを解かせた。

 68歳だった母は前日に脳梗塞で倒れ、翌朝、息を引き取った。突然の別れ。ふと、こみ上げた感情があった。「原爆さえ、戦争さえなければ、母はもっと生き、違った人生があったのではないか」

 母の死は、その先にある無数の苦しみの存在をあらためて思い起こさせた。一瞬で命を奪われた人、放射能にむしばまれ亡くなった人、年老いて今なお病床に伏せる人…。

 「言葉で語り尽くせないそれぞれの恨めしい気持ちを画に刻むこと。それが、生き永らえた自分がせめてできる供養かもしれない」

 年が明けてすぐ、絵筆を握り、「母子像」の制作に没頭した。母の一周忌に間に合わせるために。

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 68年前のその瞬間、今口さんは爆心地から約2キロ離れた国民学校の校庭にいた。熱風で倒れた半鐘塔の下敷きとなり意識不明に陥ったが、一命を取り留めた。

 母におぶわれ避難する間、やけどではがれた皮膚を揺らし、母に「水をくれ」とすがってきた人の声。死者が市中に埋葬された時にかいだ、血の染みた土のにおい-。過去を手繰り寄せるたび、当時の惨状が次々とよみがえった。

 一瞬でわが子と故郷を変わり果てた姿にされた母の心中を推し量るほどに、キャンバスの中で子を抱きかかえる母の表情はきつくなっていった。「母子を苦しめた時代と社会を、告発するような激情が乗り移っていったのかもしれない」

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 「母子像」は89年、相模原市の市民文化祭で展示された。「迫力がある」と称賛され、賞も取った。が、今口さんはふに落ちない気持ちだった。

 「広島被爆者どころか、母の万感すらまだ描ききれていないのではないか。被爆者である自分が描かなければ忘れられてしまう、痛みや悲しみ、怒りがもっとあるのではないか」

 画家として被爆者を生きる-。自らに役割を課し、遠ざけてきた過去との対峙(たいじ)が始まった。以来、突き動かされるように原爆禍を描き続けた。

 あれから24年。今口さんは、新たな「母子像」を描いている。再び放射能禍を引き起こした東京電力福島第1原発の事故と、漫画「はだしのゲン」の作者で中学時代の同級生だった中沢啓治さんの死が、キャンバスに向かわせた。

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 広島で被爆し、原爆禍を描き続ける老画家。原爆は、そして原発事故は何をもたらしたのか。二つの母子像に込められた思いをたどる。

(2013.8.6、中尾 浩之)


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