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【核と平和・2012】今を見つめて (5) 被ばくマグロ 命懸けた父

社会 神奈川新聞  2018年07月27日 18:39

自身が代表を務める「かもめ児童合唱団」で、子どもたちに指導する小島晁子さん(中央)=三浦市三崎
自身が代表を務める「かもめ児童合唱団」で、子どもたちに指導する小島晁子さん(中央)=三浦市三崎

 雨はふるふる城ケ島の磯に 利休鼠(りきゅうねずみ)の雨がふる

 西日が差し込む商店街に、子どもたちの明るい歌声が響き渡る。声楽家の小島晁子さん(71)=三浦市三崎町小網代=が、電子ピアノで「城ケ島の雨」の音色を軽やかに奏でる。

 小学生が中心の「かもめ児童合唱団」を結成して40年。子どもたちに地元ゆかりの名曲を歌い継いできた。「今ここで歌えることが幸せ」。東日本大震災が、晁子さんの故郷への思いをさらに強くした。

 「あの日」から1年5カ月。東京電力福島第1原発事故による放射能汚染への不安や怒りが、今なお渦巻く。収束の兆しさえ見えない現実を前に、広島でも長崎でもなく「マグロの街」が放射能に揺れた、58年前の記憶が脳裏によみがえる。

  ■ ■

 1954年3月17日。米国によるビキニ環礁での水爆実験で「マグロ漁船が被ばくした」という情報が入った。

 静岡県焼津港所属の第五福竜丸だけでなく、周辺海域を操業していた三崎港所属の第十三光栄丸なども「死の灰」をかぶった。

 当時、父親の坂野薫さんは県三崎保健所長。昼夜出ずっぱりで水揚げされたマグロを1匹ずつ検査し、国の基準値以上の放射線が検知されたものを、迷うことなく廃棄させた。

 日本有数のマグロ水揚げ基地として栄えた漁師町。「出てこい」「マグロを捨てるな」。自宅には連日、マグロ漁師や水産業者らが押し寄せた。

 家族は裏口から出入りするしかなく、途切れることのない抗議の電話に受話器は上げたままにしていた。

 「よく見ておけ」。しばらくして薫さんが、ミカン箱ほどの大きさのガイガーカウンターを、わざわざ自宅に持ち帰ってきた。「ガー、ガサガサガサ」。マグロのブロックに近づけると、すぐに放射線を検知した。

 「もし誰かの口に入れば、三崎のマグロは終わりだ。人の命を守るために、今は捨てなければならない」。検査が続けられた同年12月末までに、約200トンが市内の谷戸(やと)に埋められたり、海に捨てられたりした。

 薫さんは75年に68歳で亡くなった。脳腫瘍だった。

  ■ ■

 晁子さんは、父が晩年に「命懸けでやらなくてはいけなかった」と振り返っていたのを覚えている。三崎のマグロを守った父を誇りに思う一方、古希を前に逝かなくてはならなかったのは「あの時の放射能が原因かもしれない」という疑念も消えない。

 そして今。「安全神話」を信じた揚げ句、原発事故で故郷を追われ、見えない恐怖におびえる人がいる。安全対策を積み残したまま、関西電力大飯原発の再稼働に動いた政府に、晁子さんの不信は募るばかりだ。

 「規模は違うけれども、父が命を懸けて放射能に立ち向かったように、国も本気で取り組まなければいけないのではないか」

 少し語気を強めて、そうつぶやいた。

(2012.8.10、石川 泰大)

=おわり


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