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時代の正体〈622〉中学校道徳教科書採択(下)自律的な人は育たない

時代の正体 神奈川新聞  2018年07月25日 11:00

名古屋大大学院・中嶋哲彦教授
名古屋大大学院・中嶋哲彦教授

【時代の正体取材班=成田 洋樹】道徳教科化によって教科書の使用が義務付けられ、学びの評価も導入される。果たして、文部科学省の示す「考え、議論する道徳」になり得るのか。中嶋哲彦・名古屋大大学院教授(教育行政学)は警鐘を鳴らす。「価値観の押し付けにつながりかねず、自律的に物事を判断する人は育たない」

         ◇

内心の自由侵害


 学習指導要領では道徳で学ぶ価値として「節度、節制」「勤労」「国を愛する態度」「畏敬の念」といった22の「内容項目」=表参照=が定められ、これらに沿って教科書が作られました。

 他の教科は学問的な知見を基盤にしていますが、個人の行動規範について学ぶという道徳に対応する学問は存在しません。科学的な認識を身に付ける場の学校で、学ぶ内容として適切かどうかの客観的な裏付けがなく、社会に広く行き渡っている価値観や、時の国家権力にとって都合のいい価値観といったあやふやな基準から恣意(しい)的に教育内容が選択される恐れがつきまとうのです。

 文科省は「考え、議論する道徳」と称し、価値観を押し付けることはないとしています。しかし、検定に合格した8社の教科書には多様な価値観について理解を深めるというよりも、特定の価値観の押し付けにつながりかねない教材が少なくありません。多様性を認めず、特定の価値観が最も大事であると教え込むことは、戦前の軍国主義の支柱になった教育勅語がそうであったように、その価値観を唯一の正解である「徳目」として教え込むということです。

 教材の中には、そのまま授業で教えれば徳目となるものが含まれます。文科省が修正意見を付けなかったことを考えると、「徳目として教えたい」という意図があると言われても仕方がありません。特定の価値観にすぎない内容項目を、習得すべきものとして同要領で位置付けている点で、実体は徳目と呼ぶべきものです。

 徳目を教え込む授業をするのは憲法19条に規定された「内心の自由」に反し、学校教育にはなじみません。子どもは自由に物事を考えていいわけで、唯一の正解として徳目を教え込むことは内心の自由を奪うことになります。

 例えば、教諭が内容項目通りに「日本は優れた伝統や文化がある素晴らしい国」と教えた場合、「果たしてそうか。外国にも素晴らしい伝統や文化があるではないか」と疑問を抱く生徒がいるでしょう。その意見が尊重されなかったら、クラスの中で「反日」と攻撃されてしまうかもしれません。

 あるいは、困窮世帯の子どもは現状のままでは「素晴らしい国に住んでいる」という実感を得にくく、自らの境遇の要因を「自己責任」に帰してしまう恐れがあります。これでは「人権や国民主権の主体として子どもを育てる」という学校教育の目標を放棄することになってしまわないでしょうか。

 徳目の押し付けには、教育的な効果もないと考えます。徳目というのは「こう考えなさい」と強制することであり、他律的なものです。例えば授業で「お年寄りに優しくしましょう」と言っても、それが他律的なものである限り、自ら進んで高齢者に席を譲ることにはつながりにくいでしょう。

 ある道徳的な価値がなぜ重要なのか、生徒自らが自律的に物事を考えて判断できるようになることが大切です。徳目の押し付けからは自律的な規範意識が育つとは思えません。

危ない自己評価


 教科化によって、記述式の評価が導入されることになりました。他者との相対評価ではなく、個人の成長度を測るとされています。

 そもそも学問的な裏付けのない道徳では、他の教科のように客観的な評価基準を設けることができません。教諭は子どもや保護者との間で、評価の妥当性を巡って争いが生じることを懸念しています。他の子どもをいじめるなど生活指導が必要な子が、道徳の授業では「いい子」として振る舞っている場合、どう指導し、どう評価するか、すぐに問題が生じるだろうと思います。

 仮に22の内容項目を評価基準にするのであれば、達成すべき価値と位置付けられ、それは徳目になります。授業中の発言や提出された文章などで評価することが想定されていますが、徳目に照らして子どもの考えや価値観を評価することになります。これは、内心の自由の侵害となる恐れがあります。

 さらに、8社のうち

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