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中華街摩登(37)
今こそ見つめたい、横浜の日中交流史 華僑の残した写真

横浜みなと新聞 神奈川新聞  2016年10月24日 15:59

横浜華僑による中華街の歴史写真展。10日間で1200人超が訪れた=いずれも横浜市中区
横浜華僑による中華街の歴史写真展。10日間で1200人超が訪れた=いずれも横浜市中区

 横浜中華街で今月1~10日に開催された「横濱華僑写真展」。戦前・戦後の中華街で暮らす人々の生活を切り取った写真約100点が並べられた。1日は中国の建国記念日に当たる「国慶節」、10日は辛亥革命や台湾の成立を祝う「双十節」。来街者の多い時期でもあり、会期中、1200人超が訪れた。

 主催したのは中国・広東省出身者で組織する広東会館倶楽部。神奈川新聞社、横浜開港資料館、横浜市中区役所が後援した。同倶楽部会長の周慶錦さん(51)は言う。「写真の家族それぞれに歴史がある。(会期中は)写真を見ながら昔話に花を咲かせる光景が多く見られ、交流の場になってよかったと思う」


「写真展が中華街の人々の交流の場になってよかった」と語る周さん
「写真展が中華街の人々の交流の場になってよかった」と語る周さん

 展示写真の中には写っている人が誰か分からないケースも多く、情報提供を求めたところ複数の名前が判明。中華街の人々の絆やネットワークを改めて実感すると同時に、街の歴史を次世代に継承していく大切さを、周さんはかみしめている。
 
  ◇ ◆ ◇

 会場の一角には、1955年に完成した横浜中華街の初代牌楼(善隣門)に関するコーナーも設けられた。同年2月2日に行われた完工式の写真を提供したのは、駒沢大学法学部教授で弁護士の金子昇平さん(68)だ。住職だった父・光和さんは牌楼の建設委員長を務めたという。


初代牌楼の完工式であいさつする金子光和さん(中央)=金子昇平さん所蔵
初代牌楼の完工式であいさつする金子光和さん(中央)=金子昇平さん所蔵

 牌楼は、米国・サンフランシスコのチャイナタウンを視察した平沼亮三横浜市長(当時)らが戦後横浜の復興のシンボルとして、建設を呼び掛けたのがきっかけ。これに賛同した横浜の華僑や日本人有志の寄付金と、県や横浜市の助成金によって建てられた。

 横浜開港資料館の主任調査研究員・伊藤泉美さんによると、光和さんは「京浜日華協会」を発足させるなど戦前から日中友好に尽力。どういった経緯で建設委員長になったかは不明だが、「おそらく日中両国に人脈があった上、住職で、政治活動とは一線を画していたこととも関係するのでは」と推測する。

 昇平さんとは20年ほど前に知り合った。同市神奈川区の自宅を訪れると、完工式であいさつする光和さんの写真のほか、牌楼建設のために寄付した人の名簿などが保存されていた。

 「それまで初代牌楼の建設の中心を担ったのが、日本人だったことも知らなかった。戦後の中華街における日本人と中国人の交流を示す貴重な資料」と話す。
 
  ◇ ◆ ◇

 開港以来、約150年の歴史を持つ横浜中華街。関東大震災や日中戦争、空襲など、多くの困難な局面を乗り越え、復興、共生の道をたどってきた。

 一方で、70年代の中国の改革開放路線以降、出稼ぎや留学を目的に日本へ渡る「新華僑」が増加。世代交代が進み、横浜中華街の成り立ちを知らない層も多い。

 そうした中で、2012年に次いで企画された写真展。伊藤さんは、中華街の人々の間で、今こそ自分たちの街の歴史を見つめ直そうとの機運が高まっていることの表れだとした上で、力を込めた。

 「エキゾチックな開港都市という横浜のアイデンティティーは、中華系の人々によってつくられた部分が大きい。この街の歴史を、日本や中国の人たちだけでなく、広く海外にも伝えていくことは、非常に意味があると思う」。今後も資料収集や研究に注力する覚悟だ。


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