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【平家から源氏へ】渋谷一族の興亡<9>重国最後の登場 要人来訪で馬5頭供出

話題 神奈川新聞  2018年06月19日 10:53

基壇や池を復元した国指定史跡永福寺跡 =鎌倉市二階堂
基壇や池を復元した国指定史跡永福寺跡 =鎌倉市二階堂

 永福寺(ようふくじ)は源頼朝が鎌倉に設けた三大寺院の一つである。二階堂(永福寺)と南側の阿弥陀堂、北側の薬師堂の三堂で構成される。二階堂の本尊は釈迦(しゃか)如来と考えられ、阿弥陀如来、薬師如来の三尊を祭る寺院だった。

 阿弥陀堂は1193(建久4)年11月27日、前年の二階堂に次いで建立された。供養の導師は後に園城寺の長吏となる真円。「吾妻鏡」には「永福寺薬師堂供養」とあるが、阿弥陀堂の誤りと思われる。頼朝が参加した仏事では、千葉成胤が頼朝の剣を持ち、愛甲季隆が調度を懸けた。先陣の随兵に畠山重忠、三浦義澄、和田義盛。後陣は佐々木定綱らだった。

 仏事が終わると、布施が贈られた。導師分は錦の被物(かずけもの)(衣服類)20重(かさね)、綾の被物100重、砂金50両、帖絹(絹の反物)200疋、紫絹50端、白布200端、藍摺(あいずり)300端、綿500両、色革(いろかわ)100枚、鞍馬10頭。加布施(かぶせ)は五衣(いつつぎぬ)1領、水精(すいしょう)念珠、金作(こがねづくり)の剣1腰だった。招請された僧にも被物や絹、白布、藍摺、綿、色革、鞍馬が贈られた。

 阿弥陀堂が完成した翌年の1194(建久5)年7月14日、薬師堂の上棟が行われた。10月、導師に東大寺別当僧正の勝賢を招請するため中原季時が使節として上洛。11月には薬師堂に扉が立てられた。頼朝はその場で自ら監督。工(たくみ)らに禄を与えた。同月、供養の導師に贈る施物が京都から鎌倉に到着。完成供養の準備は着々と進められた。

 12月15日、勝賢が近日中に到着するとの先触れがくると御家人に伝馬が割り当てられた。義澄、中村宗平、土肥遠平、渋谷重国の4人には各5頭。和田義盛は4頭。梶原景時と曽我祐信は各2頭、原宗房1頭だった。重国が「吾妻鏡」に登場するのはこの記事が最後である。薬師堂の完成供養は26日に行われ、永福寺の全容が整った。


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