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【W杯】ユーゴ内戦経験「子どもに夢を」 豪州代表、横浜M・デゲネク選手

社会 神奈川新聞  2018年06月16日 02:00

横浜F・マリノスでプレーするデゲネク選手=3月、ニッパツ三ツ沢球技場
横浜F・マリノスでプレーするデゲネク選手=3月、ニッパツ三ツ沢球技場

横浜F・マリノスでプレーするデゲネク選手=3月、ニッパツ三ツ沢球技場
横浜F・マリノスでプレーするデゲネク選手=3月、ニッパツ三ツ沢球技場

 約1カ月間の熱戦が始まったサッカーのワールドカップ(W杯)ロシア大会。16日に初戦を迎えるオーストラリア代表のディフェンダー、ミロシュ・デゲネク選手(24)=J1横浜F・マリノス所属=は1990~2000年代に崩壊したユーゴスラビア連邦にルーツがあり、幼少期は激しい民族対立による内戦に翻弄(ほんろう)された。旧東欧諸国で初めて開かれる歴史的な大会に、「特別な経験として永遠の記憶に残るはず。自分に続く子どもたちに夢を与えたい」との思いを強めている。

 両親はセルビア人で、自身はクロアチア出身。1994年生まれのデゲネク選手の生い立ちは、「七つの国境、六つの共和国、五つの民族、四つの言語」などと形容された社会主義のモザイク国家・ユーゴ解体の過程に重なる。

 「幼少時代のことはベリーバッドメモリー。日本人にはない経験を自分はしてきたんだ」。91年に独立したクロアチアはその後も民族対立が収まらず、一家は現在のセルビアの首都ベオグラードへ。だが平穏な日は訪れない。

 コソボ自治州の独立をめぐる紛争に絡み、今度は北大西洋条約機構(NATO)軍の空爆にさらされた。「二つの戦争を経験して、目の前で人が殺されるところも見てきた」。戦火を避けて家族とともにシドニーへ渡ったのは5歳の時だった。

 祖国のユーゴはW杯出場9回。ドラガン・ストイコビッチ選手ら世界的なタレントを輩出し「東欧のブラジル」と呼ばれた強国だった。内戦直前の90年イタリア大会でも、のちに日本代表を指揮したイビチャ・オシム監督に率いられ、ベスト8に勝ち進んだ。

 デゲネク選手も当たり前のように街角でボールを蹴っていたという。「僕のバックグラウンドは欧州。それに、サッカーをすることが嫌な思い出を忘れさせてくれる唯一の時間だった」。ラグビーなどの盛んなオーストラリアに移住してもその夢は変わらず、プロへの道を切り開いた。

 2017年からはマリノスに在籍。187センチ、82キロの屈強な体で相手を封じる守備の中心選手となり、W杯代表の座をつかんだ。横浜市内の自宅マンションにはトレーニング器具が並び、練習から帰宅後もサッカー漬けの生活を送る。「サッカー以外の友人はいないというぐらい人生を懸けてきたから、いまこの位置にいるんだと思う」との自負もある。

 16日の初戦は優勝候補の一角に挙がるフランスが相手。決勝トーナメントに進めばセルビアやクロアチアといった縁ある国と対戦する可能性もあるが、「自分の国以上に愛する国はないし、どこが相手でも関係ない」。古里を失ったフットボーラーは困難を乗り越え、チャンスをくれたもう一つの母国のために戦う。


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