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全てを尽くし「東京」へ 陸上三段跳び・リオ代表、長谷川大悟

スポーツ 神奈川新聞  2018年06月04日 12:15

リオ五輪を経験したことで、東京五輪に向け「目標とアプローチの仕方がより明確になった」という=2016年8月、リオデジャネイロ(共同)
リオ五輪を経験したことで、東京五輪に向け「目標とアプローチの仕方がより明確になった」という=2016年8月、リオデジャネイロ(共同)

 リオデジャネイロ五輪・陸上三段跳び代表の長谷川大悟(28)=横浜市保土ケ谷区出身=が、1年間フリーで活動した期間を経て、4月から所属を物理療法機器メーカーの伊藤超短波(本社・埼玉県川口市)に変更し、心機一転で東京五輪に向けて走りだしている。所属先探しなど奔走した昨年を「空白の1年」と振り返る一方で「競技と向き合えた1年」とも。その行動力で自らの競技環境を切り開いてきた。

 「全てをささげられると心の底から思えるような経験だった」

 2年前のリオ五輪。世界最高峰の舞台に立った思いを、長谷川は今もそう振り返る。

 三段跳びで日本歴代4位の16メートル88の大記録を引っ提げ乗り込んだ南米の地。自己ベストには届かず16メートル17で予選落ちに終わった。「悔しい気持ちもあったし、世界の実力ははるか上にあるんだなと思った」。と同時に「何としても、もう一回出たい」という気持ちが湧き上がってきたという。帰国後すぐに4年後の東京五輪に向けたプランを練り始めた。

 実業団選手にとって、競技と仕事の両立は永遠の課題だ。五輪を経験したアスリートがさらなる向上を望むのであれば、それまでの練習環境を見直すということは必然的な流れかもしれない。

 大学卒業後は日立ICTに所属してリオ五輪まで競技を続けたが、長谷川は「職場に理解があって恵まれていたけど、これで死んでもいいと思えるくらいの気持ちで2020年に全てを尽くしたかった」。並々ならぬ決意で新たな環境を求め、昨年3月末に同社を退社。「プロアスリート」として歩み始めた。

 昨春からは練習時間こそ増えたが、遠征費など競技を継続するための資金が必要だった。長谷川は独自に企業にスポンサー契約を結んでもらおうと、単身でスポーツ用品メーカーなどを回って自身を売り込み、約10社から支援を取り付けた。

 「新しいスポーツ選手の在り方、価値などを生み出す一つのきっかけになったかもしれない」。厳しい状況下に置かれながらも「必要なものは自分で取りに行かないと、待っていても得られないですから」と心は折れなかった。

 そんな中で、物理療法機器メーカーの伊藤超短波の倉橋司社長と出会い、同社所属の選手として活動していくことになった。同社はこれまで重量挙げの三宅宏実や、米大リーグ・ドジャースの前田健太ら多くのアスリートに治療機器製品を提供するなど支援してきたが、倉橋社長は「どんな困難にも負けずに五輪で世界一を目指す長谷川選手の姿勢が他の社員にも伝わる」と社員として迎えて、東京五輪に向けてサポートする態勢で迎え入れたという。

 新たな生き場所を得た28歳は早速、結果を出し始めている。

 5月20日のセイコーゴールデングランプリ大阪は16メートル22で2位。バランスを崩しながらの跳躍で上々の記録をシーズン初めに出し「これから上がっていく気しかしない」と笑顔を見せる。

 再びの大舞台へと続く道程は平たんではないが「覚悟はできているし、迷いは一切ない」。自らの道は自ら切り開いていく。

はせがわ・だいご 陸上三段跳び。伊藤超短波所属。横浜橘中-桐蔭学園高-東海大-日立ICT。高校2年で走り幅跳びから三段跳びに転じ、3年時の2007年、秋田国体で2位。東海大3年時に日本インカレで初優勝を飾った。自己ベストの16メートル88をマークするなどして出場した16年リオ五輪は予選全体29位。横浜市保土ケ谷区出身。28歳。


積極的な行動力でスポンサー集めなどにも奔走した長谷川=大和スポーツセンター
積極的な行動力でスポンサー集めなどにも奔走した長谷川=大和スポーツセンター

東京五輪に向け「一日も無駄にできない」と練習に励む長谷川=大和スポーツセンター
東京五輪に向け「一日も無駄にできない」と練習に励む長谷川=大和スポーツセンター

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