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やまゆり園 事件考
判決を受けて(1) 「なぜ」に迫らぬまま

社会 | 神奈川新聞 | 2020年3月23日(月) 05:00

 県立障害者施設「津久井やまゆり園」(相模原市緑区)で入所者と職員計45人が殺傷された事件の裁判員裁判は、植松聖被告(30)に死刑判決を下した。事件から3年8カ月。公判の評価は、事件を生んだ社会のあるべき姿は-。初公判前にインタビューした人々を再訪し、考える。初回は日本障害者協議会代表で視覚障害者の藤井克徳さん(70)。

日本障害者協議会代表
藤井 克徳さん


日本障害者協議会代表 藤井 克徳さん
日本障害者協議会代表 藤井 克徳さん

 死刑判決は予測の範囲内だ。ただ、私の中では決着は付いていない。

 「被告が犯行に及んだ理由を知りたい」。市民の期待はこの一点に尽きたが、それに応えられない(初公判から判決まで)拙速な裁判だった。何のため、誰のためにあったのか。本人罰して教訓残らず、だ。

 その要因は、裁判において三つの要素が不在だったことにある。「固有名詞」と「本質的争点」、そして「被告人弁護」だ。

 一つ目の固有名詞は、被害者氏名。被害者を呼ぶ甲、乙、A、Bという響きは聞いていてつらかった。差別を問うた裁判のはずが、匿名に付されたこと自体が差別にあたる。匿名制度は県警が「本人の不利益を回避する」との名目で採り入れ、あろうことか横浜地裁も踏襲した。刑事訴訟法では「本人の不利益」として、性犯罪やストーカーの被害者の匿名にするケースがあるが、果たしてそれらと同列に語れるか。

 二つ目の不在は、本質的争点。裁判の争点は刑事責任能力の有無に絞られた。一方、世間の関心事は「なぜ事件が起きたのか」ということ。傍聴メモをたどると、検察官、裁判官がそこに踏み込むチャンスはあった。障害者を卑下する被告の借り物の優生思想は、どこから生まれたか。意識は初めからあるものではない。先に環境があり、その上に成り立ち、紆余曲折(うよきょくせつ)を経て固まるものだ。

 犯行当時の被告は26歳の青年であり、彼の人格形成期、職業生活期に迫ることが重要だった。接見で被告はやまゆり園の職員時代のある出来事を振り返った。風呂場でおぼれた利用者を救ったとき、利用者の父に電話で伝えたら「余計なことをするな」と怒鳴られたという。被告は「藤井さん、家族ってそういうものなんですよ」と言った。裁判では、彼の人格形成はわからずじまい。入り口でとどまったまま終わった。

 三つ目は弁護の不在。被告との面談で、弁護人との関係性の希薄さが浮き彫りになった。公判期日が決まっていた昨年4月ごろ、被告にその話題を振ったら、「弁護人からは聞いていない」と応えた。意思疎通が不十分。刑事責任能力の有無だけでなく、彼の言論を形成した背景に迫るのも弁護人の役割ではないか。

 日本の障害者問題は、今後どうなるのか。被告が控訴しなければ、重いふたで封印されてしまう。遺族の感情を逆なでするつもりはないが、控訴してほしい。死刑が確定すれば、残るのは被告の「重度障害者は安楽死させるべき」という発言と彼の名前だけ。風化は一層早まる。氏名の不在もそれをさらに加速させる。

 ネット上には彼の言動を賛美する声もはびこる。再発の火だねだ。だからこそ裁判は「小さな植松」を内発的に諭すべきだった。社会で起こる事象の裏側にスポットライトを当てる。裁判所はその法的権限を持つが、残念ながら行使しなかった。日本社会は「小さな植松」「植松の相似形」を生まないための大きなチャンスを失った。


 ふじい・かつのり 東京都立小平養護学校(現特別支援学校)の教諭を経て、日本初の精神障害者の共同作業所などの活動に従事。共同作業所の全国組織「きょうされん」専務理事。

 
 

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