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【バスストップ】東急・市43系統、神奈中・中50系統(2) 青砥  「おおと」の歴史残す

話題 神奈川新聞  2018年05月19日 02:00

町名の呼び方調査に協力してくれた青砥町自治会の荒谷会長(中央)と役員ら =横浜市緑区の青砥杉山神社
町名の呼び方調査に協力してくれた青砥町自治会の荒谷会長(中央)と役員ら =横浜市緑区の青砥杉山神社

 「つぎは、おおと、おおとでございます」。知ってはいても、聞くたびにハッとするバスの車内音声-。

 横浜市緑区青砥町(あおとちょう)にある「青砥」バス停留所の名は、正式町名の「あおと」ではなく「おおと」だ。地域住民や横浜の情報通には知られていても、多くの人は事実を聞くと驚く。江戸時代は都筑郡青砥村。1939年に町となり、バス停は53年ごろの設置。昔は「おおと」と呼ぶ人の方が多く、バス停名も住民の意向を尊重して付けたようだが、確かな記録はない。

 町に長年住む人たちは「青砥」を今どう呼ぶか。青砥町自治会の役員に、会館がある青砥杉山神社の境内でアンケートを取ってみた。協力者は17人。結果は「あおと」が9人、「おおと」が8人とわずか1票差。年配の方に「おおと」は健在だ。

 荒谷(あらや)孝道自治会長(76)は「『おおと』は話し言葉。そう呼ぶ人も書類の住所にふりがなが必要なときには『あおと』と書きます」。区内に住む地域史研究家の相(あい)澤(ざわ)雅雄さん(69)は古文書(こもんじょ)を基に「江戸後期の青砥は26軒、百数十人の小さな村でした」とし、当時の地誌「新編(しんぺん)武蔵(むさし)風土記(ふどき)稿(こう)」には村名に「アヲト」、さらに古い「武蔵志(むさしし)」には「ヲゝト(おおと)」とルビがあることを示し、「昔の村人は『おおと』と呼んでいたはず」と推測する。ちなみに相澤さんも「おおと」と呼ぶ。

 「おおと」バス停も、貴重な歴史の証(あか)しだ。

次回は「蓮生寺前」
(小学校高学年向けに、難しい漢字にはふりがなを振っています)
【2018年1月18日掲載】


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