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開幕試合を振り返る J成長の25年

スポーツ 神奈川新聞  2018年05月15日 13:39

 サッカーのJリーグは15日、開幕25周年を迎える。1993年5月15日、東京・国立競技場で行われた記念すべき開幕試合は、日本リーグ時代から人気と実力を分け合ってきたヴェルディ川崎(現東京V)と横浜マリノス(横浜M)のライバル対決だった。

 沸騰するサッカー人気の中、チケットは1カ月以上前に完売するなど社会現象にもなったJリーグの幕開け。約6万人の観客が詰めかけた歴史的一戦のピッチに立ち、現在はともに県内のJクラブでGKコーチとして指導に当たる松永成立(横浜M)と菊池新吉(川崎フロンターレ)に当時の思い出や25年の振り返りを聞いた。(敬称略)

「自分を奮い立たせる貴重な思い出」



 
元横浜マリノス GK 松永成立


1993年を「感動と落胆の1年だった」と振り返る松永成立さん
1993年を「感動と落胆の1年だった」と振り返る松永成立さん

 Jリーグ開幕と「ドーハの悲劇」。同じ1993年にあった日本サッカー史の重大ニュースとピッチ上で向き合った選手の一人が松永成立だ。

 「一生に一度あるかどうかというくらい、感動から落胆への波が激しかった1年。プロのリーグの舞台に立てた感慨は大きかったし、ドーハのあとは目が生きていなかったというか、初めてサッカーボールも見たくないと思った」

 その涙腺が緩んだのは5月15日の試合前だ。カーテンで仕切られたスタンド下の控室からは超満員のファンが見える。アマ時代に同じ国立で観衆500人という試合を経験したからこそ、感激もひとしおだった。

 「早くからプロ化を目指していたマリノスとヴェルディが開幕試合に指名されたこともあったし、この観客を一人でも減らしちゃいけないという使命感が強かった。結果は二の次で、お客さんを飽きさせないゲームをしたいと思っていた」

 左腕にキャプテンマークを巻き、三浦知良とのコイントスを終えていざキックオフ。いまも鮮明な記憶として残るのが、マイヤーに喫した前半19分のゴールだ。

 「ボールの軌道を見た瞬間、絶対に捕れないと思った。ただ、見逃すのはしゃくだから、取りあえず飛んでおけば絵になるんじゃないかと思って。Jリーグ第1号にふさわしいゴールだったし、敵ながら拍手を贈りたいくらいだった」

 失点シーンに絡むのはGKの宿命だが、このゴールと「ドーハの悲劇」のイラク戦は必ずといっていいほど、日本サッカーを振り返る映像として登場する。

 「何千回じゃきかないくらい見たけど、どちらも古き良き思い出。ドーハの失点シーンも、もう慣れましたよ。いま指導者としてサッカー界に関わっているけれど、ある意味メンタル面での支えというか、自分を奮い立たせてくれる貴重な映像になっている」

 85年に社員選手として日産入りした。あのときプロ化を迎えていなければ、今頃はサラリーマンだったかもしれないと笑う。25年の成果と、次の時代へのメッセージは。

 


試合前のコイントスに臨み、V川崎・三浦知(左)と握手する横浜M・松永=93年5月15日、国立競技場
試合前のコイントスに臨み、V川崎・三浦知(左)と握手する横浜M・松永=93年5月15日、国立競技場

「日本がW杯に出続けていることが一番の成果だと思う。本当は94年に行かなきゃいけなかったけれど。ただ、若手や指導者の育成を含めて日本サッカーが動き出したのが93年だった。これまでの取り組みを継続することが大事だと思う。あとはマリノスの優勝だけが僕の夢です」

まつなが・しげたつ 愛知学院大から1985年に横浜Mの前身の日産自動車入り。日本代表の正GKとして、木村和司や水沼貴史らとともにアマ時代から多数のタイトル獲得に貢献した。2000年に京都で引退。国際Aマッチ通算40試合出場。「ドーハの悲劇」も経験した。07年からマリノスのGKコーチ。静岡県出身。55歳。

 

「宣誓を聞いた時にはぞくっとした」

 
元ヴェルディ川崎 GK 菊池新吉


ヴェルディ川崎時代を振り返る菊池さん
ヴェルディ川崎時代を振り返る菊池さん

 川淵三郎チェアマンの「開会宣言」で幕を開けたオープニングゲームは菊池新吉の脳裏に今も深く刻まれている。

 「川淵さんの宣誓を聞いた時にはぞくっとした。日本リーグ時代は閑散としていたから、セレモニーも華々しくて、すごい幸せだなと思いながらスタジアムを眺めた記憶がある」

 試合はアマ時代から16戦未勝利だった宿敵に逆転負け。後半3分、マリノスのエバートンの同点ゴールで流れを引き渡してしまった。

 「ショートコーナーで僕が前に出たところで一番遠くにかぶせるようなシュートだったから、分析されて狙われていたかもしれない。シゲさん(松永)にも何本か止められた」

 当時のヴェルディは三浦知良、ラモス瑠偉、武田修宏らが所属するスター軍団。一気に巻き起こった「Jリーグブーム」は衝撃だった。

 「サッカーバブルと言われたからね。練習にものすごい数のファン、サポーターが来て、駐車場で身動きが取れなくなることもあった。ただ、周りの環境はがらりと変わったけど、サッカーに対する僕らの思いは変わらなかったね」

 93年にはチームのシーズン16試合無失点に貢献。タレント集団の中で「表に出なかった」という自分の存在をどう認めてもらうか、とにかく必死だった。

 「当時は守備がよければペレイラだったり柱谷(哲二)さん、点を取ればカズ、武田となる。自分の存在価値を示すために、そのレベルでやり続けることが大事だった」

 川崎をホームとした2クラブとの縁は深い。2000年に当時創設4年目だったフロンターレに期限付き移籍。ヴェルディの育成組織コーチなどを経て、昨季はGKコーチとしてフロンターレの初タイトルを支えた。

 「(00年は)さあ力になってやろうと思っていたのに試合にあまり絡めず、J2に降格してしまった。ずっと負い目があったけど、昨年初優勝に結びついたので本当によかった」

 あれから25年。今もサッカーに携わる身として感慨は深い。


93年7月、PK戦で横浜フリューゲルスを破って喜ぶ(左から)柱谷、菊池、ペレイラ、石川。菊池はこの年のシーズン16試合完封に大きく貢献した
93年7月、PK戦で横浜フリューゲルスを破って喜ぶ(左から)柱谷、菊池、ペレイラ、石川。菊池はこの年のシーズン16試合完封に大きく貢献した

 「当時は『世界に比べて50年遅れている』と言われていたけれど、世界のトップ10を目指すという目標の中、三つのカテゴリーでチーム数も増えてきた。まだ人工芝で練習しているチームもある中、環境面での差がなくなればいいかな。やっぱり日本代表が世界のトップ10になるところを早く見たいよね」
 

きくち・しんきち 岩手・遠野高から1986年に読売クラブに入団。93年のJリーグ開幕後はヴェルディ川崎の黄金期を正GKとして支えた。2012年からは川崎フロンターレでGKコーチを務める。岩手県出身。51歳。


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