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名指導者編 81/100
勝利義務付けられ 横浜 渡辺元智(上)

高校野球 神奈川新聞  2018年05月09日 02:00

夏の甲子園初優勝時の胴上げ。選抜初優勝から7年たっても、まだ表情が硬いように映る=1980年8月22日、甲子園球場
夏の甲子園初優勝時の胴上げ。選抜初優勝から7年たっても、まだ表情が硬いように映る=1980年8月22日、甲子園球場

 甲子園通算51勝22敗。5度の全国制覇。五十余年の長きにわたって神奈川高校野球に“君臨”してきた。その間、あまたの強豪チームが「打倒横浜」を合言葉に腕を磨き、その存在自体が神奈川の高校野球をけん引したと言っていいだろう。

 一方で、長く過酷な練習で選手を鍛え上げ、プレーの細部を磨き、相手を研究して勝利を目指すそのスタイルは、時として「勝利至上主義」との指摘も受けてきた。多様化が進む現代にあってはなおさらである。高校の部活動である高校野球において「勝つこと」はどこまで大切なものなのか。

 横浜の監督を離れて3年目を迎えたが、渡辺元智(73)の目には今なお、勝負師の眼力が色濃く宿る。名将に問い掛けた。あなたにとって勝負とは何ですか?

 「ただ楽しければいいんだったら、野球なんかやらないで、他のことで楽しめばいいんじゃない?」

 笑顔交じりではあるが、いきなりストレートな言葉が返ってきた。

 「勝利至上というよりね、自分はずっと甲子園で優勝することを考えてやってきた。そこに旗があるのに、それを狙うというプロセスがないのであれば、野球の意味がない」

 大切なのは一人一人が目標に向かって頑張ること。そして指導者の役目は「目標をしっかり定めてあげる」こと。精鋭が集う横浜にあっては、それは必然的に「全国優勝」ということになる。


センバツ初優勝を決めて胴上げされる渡辺。慣れていないせいか、手の向きがふぞろいでどこかぎこちない=1973年4月6日、甲子園
センバツ初優勝を決めて胴上げされる渡辺。慣れていないせいか、手の向きがふぞろいでどこかぎこちない=1973年4月6日、甲子園

 渡辺には、確かに「あの頃は勝利至上でやっていた」と認める時期があった。それは24歳の若さで監督に就任してから、愛甲猛が横浜の門をたたいた1978年ごろまでの10年あまり。血気盛んな20代から30代前半にかけてのころである。

 そもそも、渡辺にとって高校野球の指導は、最初から勝利が義務付けられたものだった。神奈川大時代に肩を壊して選手としての夢が破れた後、母校である横浜から指導者として声が掛かった。事務職員として働き、野球部を指導する。「生き残る」には結果を出すしかなかった。「あんな若いやつに任せて甲子園に行けるのか?」。そんなOBたちからの重圧をもろに背負ってのスタートだった。

      ◇

 今夏100回の記念大会を迎える夏の甲子園に向け、日本人が高校野球に魅せられる理由を探ってきた連載「K100 神奈川高校野球」。5月の名指導者編ではいよいよ、全国最激戦区でしのぎを削ってきた名将たちに問い掛ける。あなたにとって高校野球とは何ですか?


選抜初出場を前に東海大相模監督の原貢と紙面対談した若き日の渡辺。28歳の青年監督は、甲子園での戦い方について原から伝授された=1973年2月
選抜初出場を前に東海大相模監督の原貢と紙面対談した若き日の渡辺。28歳の青年監督は、甲子園での戦い方について原から伝授された=1973年2月

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