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東芝とバスケ部の68年
栄光の果てに(2)創生期 地道な活動、強化推進

スポーツ 神奈川新聞  2018年04月25日 11:57

1981年、東芝小向体育館近くに完成した専用合宿所「有心寮」前で記念撮影に納まる当時の選手たち。2015年秋まで利用された
1981年、東芝小向体育館近くに完成した専用合宿所「有心寮」前で記念撮影に納まる当時の選手たち。2015年秋まで利用された

 自分たちで白線のラインを引いたコートには、土ぼこりが舞っていた。敗戦から間もない1950年、無線機器生産が主力の東芝小向工場に同好会としてバスケットボール部が誕生した。その名は「東芝小向」。現・川崎ブレイブサンダースの前身が産声を上げた。

 「みんな日に焼けて、ランニングシャツの痕がくっきり。健康そのものでした」。東京五輪が開催された64年入社で、チームに加わった羽角国廣は笑顔で振り返る。当時、工場内には約5千人が稼働、高度経済成長を支えていた。

 東芝小向は東芝グループ内の事業所対抗戦や川崎市民大会に参加しながら、関東実業団リーグに参戦。65年には全東芝強化チームに選ばれ、選手補強や遠征費などの援助も増えていく。70年には現在も使用する小向体育館が完成。75年に日本リーグ2部昇格、チーム名も「東京芝浦電気」に変更した。成長を続ける会社の士気高揚の役割を担い、チーム強化が進んだ。

 72年から4年間プレーした小野泰裕は東京・府中工場で働いていたが、事業所対抗戦での活躍で小向工場にスカウトされた。「大学で活躍してきた一流選手も加入し、本気で1部を目指した時代だった」と小野。練習は勤務後の午後6時から3時間ほど。みんなが仕事との両立に向き合った。

 「大変だったけど、将来結婚して、子どもができたら『選手だったんだ』って自慢できるな。だから頑張ろうよって、声を掛けていたよ」。そう懐かしんだ小野は引退後、社業に専念。退職した今はボランティアスタッフとしてチームを後方からサポートしている。

 81年にはケンタッキー大を全米一に導いたフレッデイ・カウワンが初の助っ人として来日。桁違いのプレーでファンを魅了した。82年に2部リーグを制し、83年からは「東芝」として1部リーグに参戦。以降は降格知らずだった。

 ヘッドコーチまで務めた鎌田光顕が入社したのは89年。「強化スポーツだったけど結果が出せなくて、肩身の狭い思いがありました」。1部昇格を果たしたものの、中位から下位が定位置に。日本鋼管や住友金属などの鉄鋼産業がリーグをけん引していた。東芝内でも78年に都市対抗野球を初制覇した野球部やラグビー部の後塵(こうじん)を拝していた。

 冬の時代を長らく過ごした東芝にも黄金期の礎を築く新人が加入する。折しも、人気漫画「SLAM DUNK(スラムダンク)」やスーパースターのマイケル・ジョーダンらが出場した92年のバルセロナ五輪などの影響で、日本にバスケブームが到来していた。 =敬称略


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