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建設断念 障害者差別と看板(上) 反対運動 なぜ“成就”

社会 神奈川新聞  2016年10月16日 09:52

横浜市瀬谷区の運上野地区に掲出されていた看板。「絶対反対」には赤い塗料を使い、主張を強調していた(画像の一部を修整しています)
横浜市瀬谷区の運上野地区に掲出されていた看板。「絶対反対」には赤い塗料を使い、主張を強調していた(画像の一部を修整しています)

 「知的障害者ホーム建設 絶対反対」-。そんな文言が記された複数の手書き看板が4年にわたって掲げられ続けた地域が、横浜市瀬谷区にある。知的障害者グループホームの建設計画に対する、近隣住民の強烈な意思表示。関係者の多くは「障害者差別だ」と憤り、地域で暮らす障害者やその家族は心を深く傷つけられた。今年1月、看板は撤去された。だがそれは、地権者側が建設を断念したからだった。障害者差別の解消が叫ばれる中で“成就”した、市内でも異例の反対運動。この地域で一体、何が起きていたのか。 

建設断念 障害者差別と看板(中) 丸4年、当事者傷つけ
建設断念 障害者差別と看板(下) 撤去の機運高まらず

「多くの近隣住民は実情を知らない」

 「プロとして、敗北だ」

 知的障害者グループホームを運営する予定だった社会福祉法人「同愛会」(横浜市保土ケ谷区)の高山和彦理事長(70)は、悔しさをにじませる。38年前に設立、市内を中心に障害福祉と高齢福祉分野で幅広く事業を展開してきた法人にとって、反対運動で建設を断念したのは初めてのことだった。

 建設予定地の所有者である佐々木佳郎さん(76)=同市磯子区=の無念さは、それ以上だ。

 佐々木さんは医師として県立こども医療センター(同市南区)に勤務、障害のある子を持つ親が抱く「親亡き後」への憂いに触れていた。相鉄線三ツ境駅から1キロほど南、同市瀬谷区阿久和西の運上野(うんじょうの)地区に所有するアパート2棟が老朽化し、新たな土地活用を模索する中、こうした親の不安を解消し残された子どもの幸せを支えることが、自身にできる最後の社会貢献と見定めた。

 だがその思いは、「許しがたい偏見と差別」(佐々木さん)によって断たれてしまった。

埋まらぬ溝

 建設計画は、不動産業者が同愛会と佐々木さんを仲介する形で2010年ごろから具体化。12年3月までの開所を目指し、市の建設費補助金交付の内定も得た。11年夏、地盤調査など建設に向けた準備が始まった。

 反対の声は、建設予定地近くの住民からすぐに上がった。当初は「事前説明がないまま工事が始まった」という主張だったが、知的障害者グループホームが建つと知ると、様相は一変した。

 「(近隣にある)寺院・乗馬クラブ・自動車修理工場などへの無断侵入によるトラブルの発生が予想される」、「事件が起きた場合、知的障害者は判断能力がないため裁判で無罪となり、被害者は泣き寝入りする」、「近くに幼稚園・小中学校の通学路がある」、「子どもが外で安全・自由に遊べなくなる」、「地域の不動産評価の下落が予想される」-。住民は次々と反対理由を挙げた。これまでのアパート管理の不適切さや業者側の不誠実な対応も、理由として強調した。

 11年11月には、地元の運上野自治会長名で、「建設中止依頼」が文書で横浜市宛てに提出された。同時期、建設中止を求める署名活動も自治会長名で行われた。「差別、偏見の気持ちは全くない」。署名協力の依頼文には、そう記されていた。

 同愛会や不動産業者は複数回、近隣住民らへの説明会を開いた。翌12年2月の説明会には市も同席、知的障害者への理解を求めた。だが、溝は埋まらなかった。

 反対する住民が自宅の塀など建設予定地周辺に看板を掲げ始めたのは、市の説明会から1週間ほど後。一時は10枚を超え、運上野地区を南北に貫く「かまくらみち」から見える位置にも幅2メートルほどの看板が出された。市などが撤去を求めたが、反対住民は「外せば建設されてしまう」と応じなかった。

苦渋の「撤退」

 佐々木さんのもとに12年夏、「地域住民代表」の反対住民3人から内容証明郵便が届いている。「明るく、平和な、楽しい生活が、ホーム建設によって破壊されるのではないかと不安」となったことを看板掲出の理由とし、身体障害者グループホームや老人ホーム、保育園なら協力すると主張。反対住民の一人による土地の買い取りを示唆して「話し合いによる円満解決」を求めた。

 これに対し佐々木さんは建設中止を前提にした話し合いへの参加を拒否、「障害者が安心して生活できるよう温かく見守ることが地域の役割」と返信した。

 同愛会の高山理事長は「事前説明がない」と手続き論を持ち出す反対住民に対し、「その必要はない」という姿勢を貫いた。施設ではなく「住居」であるグループホームの建設に近隣の同意は法的に必要がない上、「健常者なら、家を建て居住するのに近隣に説明したり同意を得たりしない。障害者だって同じ」との考えからだ。

 一方で、障害者が安心して暮らしていくためには、地元自治会に加入し日常のごみ出しを受け入れてもらうなど、地域との良好な関係が不可欠で、反対を押し切っての建設はできないとの認識だった。

 ただ高山理事長は「対話を重ねることで、いずれ理解は得られる」と踏んでいた。これまでの施設建設でもさまざまな反対はあったが、話し合いを繰り返して合意点を見つけ、完成後は地域と良好な関係を築いてきた実績があったからだ。

 だが事態は進展のないまま4年が過ぎた。この間、市と地権者側、反対住民の協議は2度、市側と反対住民の協議は1度行われた。

 昨年12月、高山理事長は「周囲に受け入れられる状況ではなく、運営はできない」と撤退を表明。運営ノウハウを持たない佐々木さんは「本当に諦めてよいのか」と悩みつつ、承諾せざるを得なかった。

 「建設断念」は年が明けた今年1月、市から反対住民に伝えられ、同月中にすべての看板が撤去された。

葬られる「差別」

 反対していた一人で、建設予定地のすぐ南側で乗馬クラブを経営する男性は看板撤去後、神奈川新聞社の取材に対し「障害者が近くに来ると、危険リスクがゼロにならない」と語った。施設内に無断で立ち入った知的障害者とみられる男性が大声を上げて馬を驚かせることがあるといい、「何かあったら、誰が補償してくれるのか」と強調し、続けた。「自分は知的障害者の乗馬体験にも協力している。知的障害者のことは理解している」

 建設を思い立ってから6年が経過、「障害者とその親を安心させたい」という信念を最後まで貫けなかった佐々木さんは、悔しさを募らせ、こう訴える。「多くの近隣住民は実情を知らない。このままでは、差別が建設断念の原因だったことが闇に葬られ、反対運動が“成功体験”として記憶されてしまう。それで、いいわけがない」


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