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教える 今は私たちが 外国籍の子の学習、成長した難民の子が支援

社会 神奈川新聞  2018年04月02日 09:47

ベトナム出身の児童に作文を教えるブーさん(右)
ベトナム出身の児童に作文を教えるブーさん(右)

 外国籍の住民が多い県営いちょう団地(横浜市泉区、大和市)に暮らす子どもの学習を支える活動が、同じ外国籍の若者たちの手で続けられている。かつて地域住民が開く教室に集まっていたインドシナ難民の子が成長し、今では教える側になった。迷うこともあった自分を救ってくれた学びの場を守りながら、ルーツを大切に地域社会を歩んでいく意義を、後輩たちに伝えようとしている。

 いちょう団地の一角にある大和市立渋谷中学校の開放スペース。週末になると、NPO法人「外国人支援ネットワーク すたんどばいみー」の教室が始まる。

 外国につながる子どもたちが、宿題を携えて集まってくる。顔ぶれの国籍は、ベトナムや中国など。来日して間もない子もいるが、日本に生まれて育った子も増えた。


子どもたちの持ってきた宿題を教えるトゥイさん(左から3人目)とサラーンさん(2人目)=3月、大和市内
子どもたちの持ってきた宿題を教えるトゥイさん(左から3人目)とサラーンさん(2人目)=3月、大和市内

 大学生のグエン・ニャット・トゥイさん(21)は教室のスタッフとして子どもを指導する。以前は自分が教わる側だった。「勉強についていくのが必死だったときに、ここで救われた。子どもたちが安心できる場をなくしたくない」

 団地に暮らす外国籍の家族には両親の共働きが多い。子どもが日本の勉強を教わる機会も、家庭では乏しくなりがちだ。

 「日本語で会話ができても学習や学校生活についていけているとは限らない。周囲が気づかないまま学習の遅れが定着する恐れもある」。スタッフのハ・グエン・ブーさん(18)は、「自分がつまずいたときに助けてもらった恩返し」のつもりで、子どもたちへの細やかな配慮を心掛けている。

 ベトナム戦争が1975年に終わった後も、政治的混乱の続くインドシナ3カ国では多くの人が難民となった。日本政府も難民の受け入れを決定。80年には大和市に定住促進センターが置かれ、難民に日本語や日本の慣行についての教育支援を行った。

 センターは98年に閉所。地域に定着した難民の支援を住民グループが引き継ぎ、子どもの学習支援教室を開く。そこに参加していたメンバーが独立し、「すたんどばいみー」の活動が2001年に始まった。

 旗揚げの一員だったチュープ・サラーンさん(33)は、カンボジア難民の子としてタイの難民キャンプで生まれ、5歳で来日した。外国籍を持つ日本社会の一員として、どう生きるか-。多感な時期の子を教える側になって「あらためて自分自身への問いに向き合う」と感じている。

 今では教室に日本人の学生も関わるようになった。多彩な人材を育む意義を日本の地域社会にも伝えたいと、サラーンさんは願う。「多様性の価値に気づいてもらえる機会も提供できるはず」


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