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現構想と重なる観客収容数やダンスホール
夢のハマスタに光 幻の計画図見つかる

社会 神奈川新聞  2018年04月01日 11:06

1964年10月7日付の計画案。上の断面図にある内野スタンド(左)の傾斜はなだらかだ。下の平面図の外野側(右)には「市民ダンスホール」などの文字がある(横浜スタジアム提供)
1964年10月7日付の計画案。上の断面図にある内野スタンド(左)の傾斜はなだらかだ。下の平面図の外野側(右)には「市民ダンスホール」などの文字がある(横浜スタジアム提供)

 横浜スタジアム(横浜市中区)が誕生する14年前、東京五輪のあった1964年に作成された「幻のハマスタ」の計画図が見つかった。描かれたのは、ダンスホールやスケート場を併設した先駆的な総合施設。折しも2度目の東京五輪に向け改修工事が進む中、半世紀余り前の“夢”にも光が当たった。ハマスタは4日に40周年を迎える。

 A1判の青焼き図面6枚で、筒の中に丸められ同スタジアムの倉庫にしまわれていた。各図には「横浜スタジアム計画案」のタイトル。現在と同じ名前が既に用いられていた。

 計画案は2種類あり、一方は6階建ての観客席を擁した収容力のあるプラン。他方は、外野スタンドの外側に円弧状の3階建て部分があり、ビアホールやローラースケート場、アイススケート場、ダンスホールを設ける構想だった。

 誰が、どういう経緯で作成したかは分からない。ただ、現スタジアムを設計した故吉原愼一郎さん(1908~2009年)の作品である可能性が高い。息子の皓一郎さん(70)は証言する。「横浜にプロ球団を、と自主的に図面を引いていたのを覚えている。5、6案はあったのではないか」

 老朽化した平和球場に代わる新球場建設の機運は1960年代に既にあり、当時の飛鳥田一雄市長(1915~90年)が特に熱を入れていた。吉原さんとは県立横浜第一中学(現希望ケ丘高校)の同窓で、早くから意気投合したという。

 皓一郎さんは「誰に頼まれたわけでもないのに、山下公園や横浜駅周辺の整備計画を描くような、夢のある父だった」と話す。

 「発見」に興奮するのは横浜スタジアムの葛西光春常務だ。スケートなど野球以外も視野に市民が集う場を目指した姿勢は、スタジアムを本拠地とするプロ野球の横浜DeNAベイスターズが掲げる「横浜スポーツタウン構想」に重なる。また、計画図に約3万5千とある収容人数は、改修後の客席数と一致。「この図面が今まさに見つかったのは偶然とは思えない」

都市のシンボル先取り


 横浜都市発展記念館(横浜市中区)調査研究員・岡田直さんの話 スポーツ史の観点で興味深い発見だ。昭和30年代、プロ野球は国民的娯楽としての地位を確立した。県内には大洋ホエールズの川崎球場があり、この図面の2年前には東京の下町に東京スタジアムが完成したばかりだった。都市のシンボルとしての球団と球場という、横浜では昭和50年代に実現した姿を、図面は先取りしていた。

 

横浜スタジアム 横浜公園内にあり1978年4月に開場した国内初の多目的スタジアム。鉄筋コンクリート4階建て、客席数約2万9千。老朽化が深刻だった横浜公園平和野球場(平和球場)を改築。20億円という建設費は市民、県民が出資した。2020年東京五輪の野球・ソフトボールの主会場に承認され、大規模改修で約6千席が増設される。


1964年4月28日付の断面図。内野側(右)の観客席は6階建て(横浜スタジアム提供)
1964年4月28日付の断面図。内野側(右)の観客席は6階建て(横浜スタジアム提供)

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