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時代の正体 沖縄考
山城さんに聞く【7】 軍隊は住民を守らず

社会 | 神奈川新聞 | 2020年2月23日(日) 09:34

慰霊の日、平和の礎では三線の音色が響く=沖縄県糸満市
慰霊の日、平和の礎では三線の音色が響く=沖縄県糸満市

 沖縄の平和運動のリーダー、山城博治さん(67)は今でこそ悪性リンパ腫を克服したが、2018年12月には心臓を患った。

 「本当は昔ながらの沖縄野菜が身体に良いんだけど、最近はスーパーに並んでなくてね」

 苦笑しながら、自ら蒸したサツマイモを口に運ぶ。酒も断った。

 満身創痍(まんしんそうい)。それでも毎朝4時に起床し、辺野古に車を走らせる。夕刻、活動を終えるころには疲労困憊(ひろうこんぱい)し、仮眠を取りながら家路に就く。

 「ゆっくりと休み、妻と旅行したり、これまでの経験や考えを本にまとめたりしたい。そう思うこともありますよ」

 それでも反基地運動に邁進(まいしん)し、基地なき沖縄を渇望する。原点は両親の戦争体験だ。

■ ■ ■

 1945年3月、沖縄本島中部の西海岸は米軍艦船に埋め尽くされた。翌4月、日本軍は米軍の無血上陸を許す。地上戦に持ち込み、本土防衛の時間を稼ぐためだった。こうして20万人超が落命し、米軍の戦史に「ありったけの地獄を集めた」と刻まれる沖縄戦が始まった。

 最初の激戦地は、今は米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)を見下ろす嘉数高台だった。17歳で防衛隊に召集された山城さんの父はこの地で米軍を迎え撃ち、戦死するはずだった。

 「爆弾を背負って米軍の戦車に突っ込み、車体の下に潜り込んで自爆する。日本軍は少年兵に特攻を強いて、多くの若い命を犠牲にしたんです。おやじはその要員でした」

 父も塹壕(ざんごう)の中で身構えたが、日本軍が撤退したため生き永らえた。本当の「地獄」はしかし、ここからだった。

 
 

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