急峻(きゅうしゅん)な山岳地帯を御し、勝負どころでは時速70キロを超すスピードで競り合う自転車ロードレース。県内も開催地となる東京五輪へ、虎視眈々(たんたん)と代表の座を狙うのが石上優大(NIPPO・デルコ・ワンプロヴァンス)だ。横浜高卒業後、単身フランスに渡った22歳。競技さながら、起伏に富んだ異国での日々が、レーサーの進路を切り開いた。
国際自転車連合(UCI)のワールドツアーなどで獲得したポイントで決まる五輪代表2枠。海外レースの加点が高く、欧州を主戦場とする石上がトップと95・3点差の3位(昨年11月現在)から巻き返す可能性は十分にある。
「僕の場合、2レースで加算されて今の位置なので、大きな差ではないかな」。きゃしゃな体とは対照的な、強気な言葉は高校時代から変わらない。いや、取り戻したというべきか。
「地獄だった」。意気揚々とフランスに渡って4年。総括すると、影が差す。
2016年冬、横浜高卒業を控えた18歳は青雲の志に燃えていた。「日本人は弱っちい」。壮語していた。本場でしのぎを削り、世界最高峰のツール・ド・フランスで日本人初の栄誉をつかむ。青写真は壮大だった。
ジュニアの国際大会でも海外勢と渡り合えている自負があった。だが、言葉も、生活習慣も異なる環境。大学生年代に相当するU23(23歳未満)のカテゴリーでは結果を残せなかった。
17年から同国の名門「AVCエクス・アン・プロヴァンス」に加入するも、同世代の後じんを拝する日々が続く。「未来のことが心配になりすぎて2時間、3時間しか眠れないという日が続いた」。劣化したとも思った。気付けば過去の栄光にすがっていた。
なぜ勝てないのか。今なら分かる。「フランス人は人を使うのがうまい。足を使わされて肝心の勝負どころで足が残っていなくて勝負に加われない」。答えにたどり着くのに2年以上を要した。