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県央から湘南まで潤す 戦前整備の用水路、いまも活躍

社会 神奈川新聞  2018年02月05日 11:31

右側の相模川から、左岸幹線用水路に水を取り入れる磯部取水堰=相模原市南区磯部
右側の相模川から、左岸幹線用水路に水を取り入れる磯部取水堰=相模原市南区磯部

 相模原市南部の相模川から水を取り入れ、河口の茅ケ崎市域まで相模川東側の624ヘクタールもの広大な水田を潤すのが相模川左岸幹線用水路。用水と排水のネットワークで、太平洋戦争前の1940年(昭和15年)に完成し、今年で78年目を迎えた。管理する県相模川左岸土地改良区の赤井光夫理事長は「今も米作りを支える幹線用水路の役割を広く知ってもらいたい」と願っている。

 相模原市南区磯部の相模川に磯部頭首工(とうしゅこう)と呼ばれる堰(せき)がある。堰にたまった水は、左岸(上流から見て左側)の取水口から幹線用水路に取り入れられ相模原、座間、海老名市、寒川町、藤沢、茅ケ崎市と流れ水田に引き込まれる。一部は右岸の幹線用水路に分けられる。

 中流域の海老名市などは奈良時代以前から水田が広がっていたというが、水田に引く水には不自由していた。30年(昭和5年)、当時の望月珪治海老名村長が中心になり、県営事業として用排水路事業に着手。40年に茅ケ崎までの約21キロを完成し、約2200ヘクタールの農地を潤した。現在も農地面積は減ったものの、水を供給し続ける。

 用水路と対になって、目に見えない場所で活躍するのが、水田地下に埋設された排水管。同市南部の旧有馬村などは地下水位が高い湿田で、そのままでは米作りをしにくかったという。相模川左岸幹線用水路を整備する際、湿田の地下1・2~1・3メートルに直径約9センチの素焼きの土管を埋めた。素焼きの表面や継ぎ目から少しずつ土管内に地中の水が入り排水される。土管は排水路に接続されており、春から夏には排水路へのふたを閉じて田の水位を保ち、秋を迎えるとふたを開けて排水する。1反(10アール)当たり1本の割合で埋設されているという。

 赤井理事長が所有する同市大谷の農地の地下にも当時の土管が埋まる。赤井理事長は昨年8月、藤沢市亀井野の日本大学で開催された農業農村工学会大会で講演し、普段は見ることができない素焼きの土管を掘り返して撮影した写真を映し出すと、聴衆の興味を強く引いたという。「農家でも相模川左岸幹線用水のことや、約80年前の素焼きの土管が今も排水管として機能していることを知らない人が増えた」と話す。

 用水に水を流すのは、田植えの春から秋分の日前後まで。今年も桜が終わるころの4月中旬には、磯部頭首工で通水式が行われ、左岸幹線用水路に水が引き込まれる。


約80年前に埋められ、今も機能している素焼きの排水管=海老名市大谷
約80年前に埋められ、今も機能している素焼きの排水管=海老名市大谷

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