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スーパースター編 25/100
写真に残る試合結果とは正反対の一瞬 向上 高橋智(上)、桐蔭学園 志村亮(下)

高校野球 神奈川新聞  2018年01月26日 02:00

七回に一時同点となる2ランを放った向上・高橋(左から2人目)と、頭を抱える桐蔭学園・志村(左)=1984年7月30日の神奈川大会決勝から
七回に一時同点となる2ランを放った向上・高橋(左から2人目)と、頭を抱える桐蔭学園・志村(左)=1984年7月30日の神奈川大会決勝から

 勝者が嘆き、敗者が歓喜する-。神奈川新聞アーカイブズに残る1枚の写真は、試合結果とは正反対の一瞬を捉えていた。1984年夏の神奈川大会決勝。打ったのが向上のスラッガー高橋智ならば、投げたのは桐蔭学園の左腕志村亮。卒業後の歩みも大きく異なる2人は、戦後の決勝史上最長14イニングに及んだ名勝負を演じていた。

=敬称略

開き直り特大アーチ


 一時同点の特大アーチも、延長十四回の激闘も「勝てる気がしなかった。桐蔭とは、プロとアマくらいの力の差を感じていたから」。オリックスやヤクルトで活躍した高橋智の、3年夏の思い出は明快だ。

 大会序盤から上位シードが相次いで敗退し「大波乱の夏」と呼ばれた84年。高橋や大塚義樹(元南海)を擁する向上はノーシードから勝ち上がった。あと1勝。誰もが甲子園を意識する舞台なのに、高橋はプレッシャーを感じていなかったという。「何が何でも甲子園という思いは一切なかったんですよ」

 2点差に迫った七回1死二塁、好投の志村亮にカーブで追い込まれたあと、直球を豪快に引っ張った。「志村君や捕手の大久保(孝昭)君が考えすぎてくれたのかな。俺はただ真っすぐを狙っていただけ」。開き直りの同点弾だった。

 無欲の姿勢は投球にも好影響をもたらす。四回から救援し、七回以降は7イニング続けてゼロを並べた。「何だか知らないけれど、この日だけは真っすぐもカーブも、ストライクが全部入った」と笑う。


マウンドでナインに激励される高橋智(左から4人目)
マウンドでナインに激励される高橋智(左から4人目)

 高橋はこの夏、エースナンバーを与えられたが、準決勝までの登板は2試合だけ。「いつもは四球を連発して自滅。投手に関しては監督の信頼は絶対にゼロでした」。140球以上投げたのも、延長のマウンドも初めて。「野球をしていて、この決勝が一番楽しかったですね」

 緊迫した試合中、少しだけ“脱線”した。相手選手をにらみつける姿が、テレビに映ってしまったのだ。「あれは事情があるんですよ」と笑って釈明する。

 死球を受けた相手の代打が喜ぶ姿に、カッとなったという。高橋の記憶ではユニホームにかすったかどうか。「何が楽しいんやと。俺なら当たってないと言いますよ」。誰もが必死の舞台で、ひとり別世界にいた。

 甲子園に未練はなかったが、試合には少しだけ悔いを残したという。延長十二回、「練習したこともなかった」というバントを失敗した場面だ。

 無死一塁、1点取れば終わりという裏の攻撃でベンチのサインに応えられなかった。「変なところで都会の野球を目指しちゃったかもしれない。ずっとイケイケで勝ち上がってきたから。ただ、あれは決めなかった俺が悪い」。シード校との差を、基本に忠実なプレーに見ていた。

 プロ入り後、当時のシーンを桐蔭の2学年下の関川(浩一、元阪神)に冷やかされたという。「(バント失敗に)桐蔭ベンチ、めっちゃ喜んでましたよって」

失意乗り越えV導く


 「観客席に突き刺さる感じで、すり鉢状の球場じゃなきゃどこまで飛んでいくんだと…」。あくまで後日談だ。志村亮は打球の行方を追うことなく、しゃがみ込んで頭を抱えた。まるでサヨナラ負けでもしたかのように-。

 4-2の七回1死二塁。打席は向上の5番高橋智だ。カーブ、カーブで追い込んでから「真っすぐだったかな。インコース低めの、まあまあ狙ったところ」という勝負球を、軽々と左翼席上段へ運ばれてしまった。

 序盤は絶好調だった。五回まで完全ペースの好投に味方も援護。「決勝でノーヒットノーランも悪くないかな」と気をよくし、スクイズで与えた六回の初失点も「あと3回」と割り切ったつもりが、好事魔多しである。

 同点に追い付かれ、左翼の守備に回った志村は気落ちしていた。九回2死一、二塁、今度は一打サヨナラの場面まで追い込まれてしまう。ここで志村は、場内アナウンスで再登板を知った。「えーって。何も言わないんですよ、土屋(恵三郎監督)さん。審判に告げてスタスタとベンチに帰ってしまって」

 戸惑いと不安を抱え、マウンドへ向かう足取りは重い。「最後は負けるなら(背番号)1番を付けているやつに投げさせたいと情けが入ったのかな」。わずかな時間でさまざまな思いが頭の中を駆け巡った。


延長14回の激闘を制し、ガッツポーズして喜ぶ志村
延長14回の激闘を制し、ガッツポーズして喜ぶ志村

 その時だ。「おーい志村、おまえがエースだ!」。観客席からこの日一番の大声援が背中を押した。ああ、頑張らなきゃ。われに返った志村は奮い立った。

 試合開始から3時間を超えた。延長十四回表の攻撃で5点取ったが、疲労から2失点。なお2死一塁。“最後の1球”は捕手ではなく一塁手のミットへ。「マジック」と称された得意のけん制で終わらせた。

 いまもtvkの高校野球中継で繰り返し放映される、あの夏の決勝。高校時代、志村が打たれたアーチは数えるほどだったが、「あれは別格。痛烈な本塁打ランキング1位ですね」と、高橋の桁外れのパワーを認める。

 逆に延長十二回は4番大塚に四球を与えたが、「(次打者の)高橋も歩かせていいと思っていた。それがバントの構えをしたから『うわっ、ラッキー』となって」。外角高めの球で注文通りの捕邪飛に打ち取った。

 数年前、向上の勝井直幸監督(当時)と食事をする機会があったという。話題は高橋のバント失敗に及び、「俺もあの采配だけは一生後悔している、と言ってましたね」。勝負のあやとなったシーンは、エースと相手指揮官に共通の記憶として刻まれている。

対照的な人生歩んだ2人


 慶大へ進んだ志村と、ドラフト4位で阪急入りした高橋。その後も対照的な人生を歩んだ2人は、一度だけ顔を合わせていた。東京遠征中の阪急が横浜・日吉の慶大グラウンドを借りて練習する機会があったという。

 ブーマーや石嶺、松永…。のちに「ブルーサンダー打線」の異名を取った強打者と並び、鋭い当たりを連発する高橋の姿に、志村は「別格でしたね。打球があのブーマーと遜色なかった」。自身が打たれた特大アーチにも納得した。

 一方の高橋は「プロに来ればええやん、と話しかけたら、志村君は首をかしげてましたね」。後にプロ入りしなかったライバルの生き方が、今となってはうらやましいとも言う。「野球だけがすべてじゃないし、第2の人生は長い。将来設計ができていたんでしょうね。俺は何も考えなかったから」

 志村らは数年前、同じ1966年生まれの元プロや甲子園経験者らを集めた同窓会を開催。高橋にも声を掛けたが、残念ながら都合がつかなかったという。志村は「会えばきっと、あの夏の話になると思う。(高橋の)バント失敗とかね」と再会を楽しみにしている。

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