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【ベイルーキー・飛躍期す10人の“星”】ドラフト6位・投手 寺田光輝

ベイスターズ 神奈川新聞  2018年01月24日 13:02

紆余(うよ)曲折を経てプロ入りを果たした横浜DeNAのドラフト6位・寺田=横須賀市長浦町のベイスターズ総合グラウンド
紆余(うよ)曲折を経てプロ入りを果たした横浜DeNAのドラフト6位・寺田=横須賀市長浦町のベイスターズ総合グラウンド

紆余曲折も夢つかむ


 高校時代、早起きは苦手だからと朝練習はサボりがちだった。地元の国立大学に進学し、浪人生活を経て筑波大に入り直して学んだ。

 「プロになるなんて夢のまた夢だった」。決して謙遜ではない。寺田光輝(BCリーグ石川)は紆余(うよ)曲折を経てプロ野球(NPB)のステージにはい上がった。

○○○
 三重県屈指の進学校から、地元の国立大へ。野球部に入ったものの、「青春。楽しかった」というレベル。チームメートと白球を楽しく追う日々に「この環境の中にずっといて自分に何が残るのか…」と、不安が募る日々だった。

 「変わるなら今しかない」

 何を目指すべきなのか。「今しかできないこと、好きなことをして生活していきたい。自分にとってはプロ野球選手しかない」。当時の決断を振り返った寺田は「むちゃな選択の仕方だった」と苦笑いした。

 入学からわずか半年で自主退学。1年半の浪人生活が始まった。アルバイトを二つ掛け持ちして学費をためた。草野球チームに所属し、中学校のグラウンドを借りて1人で練習もした。野球から離れず、机にも向かい、筑波大に合格した。

 プロも多く輩出する「国立の雄」では実力不足を思い知らされた。2年秋には右肘の手術を受けるなど、3年間はスタンドでの応援係。4年春にようやくつかんだ公式戦初登板は、敗戦処理だった。「これで野球を諦められる」

 地元の銀行から内定をもらい、卒業後に進むべき道は、決まったはずだった。だが、筑波大のコーチが人生を変えた。「野球辞めちゃうの? まだいけるだろ」

 コーチのつてであれよあれよと石川への入団がまとまった。断ろうと思いながら、行動を起こさない自分がいた。「自分の迷いは、まだ野球をやりたいっていう証しだった」

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 BCリーグでは「特徴を出したい」とドラフトを見据えてサイドスローに挑戦し、ついに才能を開花させた。最速146キロの直球は切れが増し、スライダー、シンカーもさえた。抑え投手に抜てきされた1年目に登板40試合で38奪三振、防御率1・11をマークして以降、スカウトの注目を浴び続けた。

 ドラマのシナリオのような野球人生を歩んできた26歳は、夢の続きをこう描いた。「対戦相手に『寺田が出たら終わりだ』と思わせるような投手になりたい」。プロを夢見る後進の道しるべとして、輝いてみせる。

 てらだ・こうき 投手。三重県伊勢市出身。三重・伊勢高-三重大中退-筑波大-BCリーグ石川。右横手から繰り出す最速146キロの直球が持ち味。BCリーグで救援投手として在籍2年で75試合に登板し、防御率1.76をマーク。175センチ、73キロ。右投げ右打ち。背番号54。26歳。


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