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伝承 明日へ紡ぐ言葉(下) 普段と不断の努力を

社会 神奈川新聞  2019年12月10日 09:45

「いまある平和憲法を手放したら、二度と取り戻せない」と語る小澤俊夫さん
「いまある平和憲法を手放したら、二度と取り戻せない」と語る小澤俊夫さん

 1941年12月、僕が小学5年生のときに始まった太平洋戦争は、ラジオや新聞では威勢のいい話ばかりが続いたけれど、実際は戦況が悪化していた。口には出さなかったけれど「大丈夫かな」という気持ちはあったよ。それでも、負けるとは思ってもいなかった。

 中学2年生だった44年9月、いわゆる学徒動員で、陸軍第2造兵廠(しょう)の東京・南多摩にある火薬工場に配属された。極めて真面目な子だったから「僕が働かないと日本は負ける」と本気で思ってね。

 僕らの仕事は出来上がった火薬を箱に詰めて倉庫に収めること、倉庫から運び出して、手りゅう弾の中に詰める工場へ運ぶことだった。

 最初に火薬が黄色い紙に包まれてくるのね。握り拳くらいの大きさで、箱に詰めると重さは30キロになる。出来上がったものを積み上げて、そこからまた馬車に積んで、最後に火薬庫に運ぶ。箱を担ぐ作業があるんだけど、30キロの箱を1人で担がないといけない。

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