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精神保健福祉士 関茂樹
【ひとすじ】悩める人に救いの手 横浜で2支援施設運営

社会 神奈川新聞  2016年09月30日 12:49

スタッフと一緒に、シルバーリボンの運動をアピールする関さん(右)=横浜市泉区のゆめが丘DC
スタッフと一緒に、シルバーリボンの運動をアピールする関さん(右)=横浜市泉区のゆめが丘DC

 暴走族の特攻隊長。高校中退。うつ病。社会の中に居場所を求め、悩み苦しんだ半生でもあった。横浜市内で二つの支援施設を運営する関茂樹さん(35)。自身の実体験を踏まえ、生きづらさを抱える精神障害者や若者に救いの手を差し伸べる。

 関さんが5月、横浜市泉区に開設したのが、青少年たちに暮らしの場を与える「自立援助ホーム『NEXT』」。職員3人と交代で隣りの離れで泊まり込み、朝夕の食事提供のほか、就労支援や生活支援などにあたる。中でも力を入れるのが進学、復学支援だ。

 「高校を卒業すれば選択肢が広がる。なりたい自分に近づくためにもしっかり学び、規則正しい生活を身に付けてほしい」。向けるまなざしは、あくまでも温かい。

 自立援助ホームは、義務教育を終え、児童養護施設や児童自立支援施設を退所した若者が働きながら、指導員とともに生活し自立を目指す施設。市こども家庭課によると、市内には5カ所ある。高校を中退するなどした子どもたちにとっては、「最後の受け皿」とも言われる。

 社会福祉の現場で働く中で、親からの虐待や経済的な困窮といった理由で、自宅や施設で生活できない児童がいることを知る。学ぶことの重要さを知った自身の経験も重なり、ホーム開設を決めた。

特攻隊長



 「元々、やんちゃな非行少年だった」。中学卒業後、憧れて入った暴走族で特攻隊長を任せられた。サッカーでの活躍が認められ、スポーツ推薦で県内の私立高校に入学したが、自主退学。県立高校に再入学するが、出席日数や単位が足りずに3年生へ進級できなかった。

 教師や両親の勧めで通信制に編入したが、「そのときは手続きする必要性が分からなかった」。家庭裁判所で親が更生を訴え、処分保留で不起訴となったこともある。

 編入後も昼間は建設現場で働き、夜は寝ずにバイクを走らせた。2000年7月、鑑別所や少年院に入っていた仲間が社会復帰し、同期10人がそろう。「そろそろ引き際だろう」。引退式を開いた。

 難治性うつ病を発症したのはその直後だった。まったく寝ることができない。「これまでかけていた身体への負荷が、一気に症状として出たのかもしれない。自分がそんな病気にかかるわけがないという先入観もあった」。病気を受け入れることができず、症状は3年続いた。

精神疾患



 回復へ歩むなか、ある考えが芽生える。「同じ境遇にある人の苦しみを和らげたい。より多くの人に精神疾患を知ってもらいたい」。高校を卒業し、福祉系の大学に入学。昼間はソフトウエアの営業マンとして働きながら、大学に夜間通い、精神保健福祉士を目指した。

 大学1年時に、“出合い”があった。

 統合失調症や自閉症、うつ病といった精神疾患への理解を求める米国発祥の「シルバーリボン運動」をインターネットで知る。日本では、福島県楢葉町の杤久保(とちくぼ)寿治(としはる)さん(62)が運動を始めていた。「普及活動の力になりたい」。すぐに福島に向かって教えを請うた。

 首都圏を中心に活動していたが、大学の卒業式を控えた11年3月、東日本大震災が起こった。東京電力福島第1原発事故により、杤久保さんが同県いわき市に避難したため、関さんは同市内の障害者の就労支援施設に就職。昼間は施設で働き、夜は杤久保さんが経営する学習塾で教えた。実務経験を積み、14年に精神保健福祉士の資格を取得した。

 15年4月、出身地である横浜市泉区に、精神障害者を対象にした就労継続支援B型事業所「ゆめが丘DC」を設立。NPO法人シルバーリボンジャパンの事務所も同所に移った。啓発イベントの企画やグッズ販売などを通して、精神障害への理解を求めて声を上げている。

 ゆめが丘DCで取り入れている福島県会津地方の伝統玩具「赤べこ」作りは関さんが思い付いた。現地で後継者不足に悩んでいることを知り、絵付け前までを施設利用者が制作し、現地に送っている。

 就労にはまだつながっていないが、県内の大学から事業所を訪れる実習生が増えてきたことの手応えは大きい。「社会の差別や偏見を変えていくことや、地域社会と利用者の懸け橋役に少しずつなっているのではないか」

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