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伝承 明日へ紡ぐ言葉(上)加害の歴史知らない

社会 神奈川新聞  2019年12月07日 10:50

「日本人は戦争の半分しか知らない」と語る小澤俊夫さん
「日本人は戦争の半分しか知らない」と語る小澤俊夫さん

 〈臨時ニュースを申し上げます。臨時ニュースを申し上げます。大本営陸海軍部、12月8日午前6時発表。帝国陸海軍は、本8日未明、西太平洋においてアメリカ、イギリス軍と戦闘状態に入れり〉
 
 1941年12月8日午前7時。ラジオが米国、英国との開戦を告げる第1報を報じた。翌日の新聞各紙も大々的に取り上げ、後に特殊潜航艇で出撃して戦死した9人を「軍神」とたたえた。

 太平洋戦争の開戦となった真珠湾攻撃から78年を迎える。昔話研究者の小澤俊夫さん(89)は「今もあの日のことははっきりと覚えている。身が引き締まる思いだった」と語る。

 1930年、中国・長春に生まれ、真珠湾攻撃の半年前に帰国。開戦のニュースは東京・立川の自宅で聞いた。戦中は学徒動員で火薬工場に配属され、中学3年のときに敗戦を迎えた。かつての「軍国少年」の脳裏には、いまも戦争の記憶が詳細に刻まれている。

 戦後、昔話と出会い、研究者への道に進む一方、自身の戦争体験を教育の現場や各地の講演会で語ってきた。歴史を伝承したいとの思いからだったが、いまその胸には危機感がある。

 「日本人はあの戦争の半分しか知らない。被害の歴史は知っているけれど、加害の歴史を知らない。これからはますます戦争を知らない世代が増える。きちんと歴史を伝えないといけないという思いが強くなっている」

「戦争の半分、見てない」 小澤俊夫さんが語る

 1930年、中国・長春(吉林省)に生まれました。日本が満州国をつくったときに、長春を新京(しんきょう)という名前に変えたわけだよね。それが支配の一歩なんだけど。

 3歳のときに奉天(ほうてん)、今は瀋陽(しんよう)(遼寧省)と言うけれど、そこに2年間いて、5歳のときに北京に移住しました。小学校に入学したのが37年4月。北京ってすごく暑いもんだから、その年の夏休みは、避暑のために大連に出掛けていったんだ。それが7月2日。その5日後の7月7日、北京郊外で盧溝橋事件が起きた。

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