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神奈川のベトナム戦争(4)
脱走兵、50年後の日本 「良心に従った 後悔はない」

社会 神奈川新聞  2017年10月31日 12:47

1967年に脱走した「イントレピッドの4人」が発表した共同声明文と、それを伝えた当時の英字新聞記事
1967年に脱走した「イントレピッドの4人」が発表した共同声明文と、それを伝えた当時の英字新聞記事

 ベトナム戦争が激しさを増していた1967年10月、米海軍横須賀基地(横須賀市)に寄港中だった米空母「イントレピッド」から、反戦を訴えて4人の米兵が脱走した。日本の反戦団体「ベトナムに平和を!市民連合」(ベ平連)の支援を受けてひそかに出国した彼らは、所属艦名にちなんで「イントレピッド(勇猛)の4人」と称された。その一人だったクレイグ・アンダーソンさん(70)が、50年ぶりに来日。東京や横須賀、沖縄などを巡り、講演で当時の事情を詳述しながら「良心に従って平和への行動を」と訴えた。

 横須賀基地に近い市民グループ「非核市民宣言運動・ヨコスカ」の事務所を29日、アンダーソンさんが訪れた。当時はベトナム戦争に疑念を抱く米兵たちが、市民と交流する拠点となっていた場でもある。


横須賀の反戦運動の歴史に関する説明を受けるアンダーソンさん(中央)=29日、横須賀市内
横須賀の反戦運動の歴史に関する説明を受けるアンダーソンさん(中央)=29日、横須賀市内

 「当時は徴兵の時代だったから、そうした兵との交流は意味があっただろう」。市民との意見交換で、感慨深げに振り返った。

 自身の家系は南北戦争に従事した軍人につながる。ベトナム戦争への疑念との葛藤を抱えながら入隊。空母艦載機の整備を担った。

 だが、北爆を「対空兵器を持たない国への一方的な爆撃」と感じるようになった。公民権運動の主導者キング牧師が「米国の誠実さに懸念を抱く者はこの戦争を無視できない」と訴えた演説や、プロボクサーのモハメド・アリ氏が良心的徴兵拒否を表明したニュースにも、心を打たれた。

 北爆に参加した空母イントレピッドが横須賀に入港した時、艦内で親しくなった同年代の3人と一緒に脱走した。67年10月23日、20歳のことだ。

 いつものように敬礼して基地のゲートを出たが、内心では「もう戻らない」と決めていた。電車で東京へ向かう。軍服や身分証も破り捨てた。

 行く先の当てもなく「数日ぐらいで捕まるかも、と覚悟していた」。東京で接触したベ平連の支援で11月、横浜に寄港していた旧ソ連の客船に密航。モスクワを経由し、12月にスウェーデン入りした。

 既に東京ではベ平連が記者会見し、4人の脱走を明らかにしていた。滞日中の4人とベ平連の質疑応答を記録した短編映画も公表。アンダーソンさんの起草した4人の共同声明が流れた。「われわれは愛国的脱走兵。先進国が民間人を虐殺するのは犯罪だ」


 アンダーソンさんは71年に米国へ帰国した。翌72年に連邦捜査局(FBI)に発見され、収監。軍法会議で除隊処分となった。釈放後はペンネームのもとに、フリーの著述家として生計を立ててきた。

 長らく本名や過去を周囲に語らずにきたが、2015年に知人のジャーナリストに、自身が「イントレピッドの4人」の一人だと告白。16年暮れには米紙のインタビューに応じ、若い世代が反戦の声を上げてほしいと訴えた。

 政治的主張に基づく脱走ではなかった。帰還兵たちが「赤ん坊殺し」と非難された当時の風潮にも、共感はしない。だが重罪でもある脱走の代償は大きかった。家族や友人とも疎遠になった。

 それでもアンダーソンさんは言い切る。「後悔はしていない。良心に従った行動を誇りに思っている」

若者への訴え 「あなたたちが未来。平和を考えて」

 当時の米国社会ではベトナム戦争への抗議が、米軍内でも燃えさかった。1971年には、空母「コーラル・シー」の乗員たちがベトナム行きの反対を訴えて始めた署名運動が、千人以上の賛同を集めた。

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