1. ホーム
  2. 話題
  3. 大火克服へ、苦闘の歴史たどる 横浜開港資料館

中消防署100周年で企画展
大火克服へ、苦闘の歴史たどる 横浜開港資料館

話題 神奈川新聞  2019年11月22日 05:00

消防団の前身「警防団」の団旗(左)も展示されている。吉田律人さんは「横浜大空襲の被害を免れたとみられる貴重な史料」と話す=横浜開港資料館
消防団の前身「警防団」の団旗(左)も展示されている。吉田律人さんは「横浜大空襲の被害を免れたとみられる貴重な史料」と話す=横浜開港資料館

 ことしは、横浜市中区に中消防署が開設されて100周年。開港直後の町火消しの登場から市消防が組織されるまでの近代史をたどる企画展が、区内の横浜開港資料館で開かれている。調査研究員の吉田律人さん(39)に解説してもらい、火災を克服しようと奮闘する港町の変遷をのぞいた。

 旧末広町の料理店から出火した猛火が、外国人居留地や遊郭をのみ込む。1866(慶応2)年の「慶応の大火」だ。7年前の開港後、都市化が進んだ市街地で3分の2が消失した。「この大火を契機に、横浜の消防力が向上します」と吉田さん。

 上水道を使用した国内初の消火栓が設置され、消火の方法が江戸時代以来の「破壊」から「注水」に切り替わった。町火消しは警察配下の「消防組」に改編された。

 一方、消火栓に依存する防火体制の「盲点」(吉田さん)が、99年の「雲井町大火」に表れる。吉田さんは「断水で消火栓は役に立たなかったのです」。消防組はなすすべなく、伊勢佐木町一帯の3千戸余りが全焼した。

 関内方面は延焼を免れた。最新鋭の資機材を備えていた外国人居留地の消防隊の蒸気ポンプが活躍したからだ。この大火を教訓に、手動と蒸気式のポンプが導入された。

 「現在の常設消防の基礎が築かれた」と吉田さんがみるのが、ちょうど100年前の1919年。市内に二つの消防署が設置され、旧薩摩町に誕生した「第二消防署」が、後身の中消防署だ。当時は、警察組織の一部だった。「日本人と外国人の消防組織が併存する体制はここで終わりました」

 蒸気式から進化したガソリンポンプ式の消防車が配備されると、消火能力は飛躍的に高まった。ただ、23年の関東大震災でまたも「盲点」が露呈。消防署に集中配備されていた消防車は、建物倒壊や道路寸断で活動を阻まれた。以降、消防車の配備は「集中」から「分散」に転じる。

 庁舎が全壊した第二消防署は「山下町消防署」として再起したが、45年の横浜大空襲で再び被災。終戦3年後、消防機能が警察から市町村に移管され、横浜市に消防局が発足すると、中消防署として再編された。山吹町に立つ現庁舎は3代目だ。

 吉田さんは「横浜は火災、震災、戦火に直面し、そのたびに試行錯誤を重ねて防火体制を整えてきました。中消防署の100年は、大火を克服しようとする市民の歴史でもあるのです」と話す。

 企画展「横浜の大火と消防の近代史」は、こうした歴史を写真、イラスト、浮世絵など約120点の史料で紹介。来年1月26日まで。11月22日、12月20日、来年1月5日に吉田さんによる解説もある。問い合わせは、横浜開港資料館電話045(201)2100。


シェアする