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レジェンド語る
佐々木主浩氏(上)選手全員が同じ目標

ベイスターズ 神奈川新聞  2019年09月11日 20:48

 ベイスターズが38年ぶりのリーグ優勝と日本一に輝いた1998年。最終回のマウンドには「ハマの大魔神」がいた。米大リーグ・マリナーズでもクローザーとして活躍し、日米通算381セーブを記録した佐々木主浩氏(51)は「優勝という目標に向かって、みんなが一つになっていた」と当時を振り返りながら、21年ぶりのペナント奪取を狙う後輩たちを熱いまなざしで見守っている。

佐々木主浩氏(下)ここまで来たら優勝


1998年10月8日甲子園 セ・リーグ優勝
1998年10月8日甲子園 セ・リーグ優勝

 横浜の街が熱狂に包まれた21年前。切れ目のない「マシンガン打線」とともにファンの脳裏に焼き付いているのは、45セーブ、防御率0・64と圧倒的な成績でマウンドに君臨した背番号22の勇姿だ。

 佐々木 本当に優勝を意識して戦った1年で、ほっとしたというのが一番かな。選手全員が同じ目標に向かっていた。特に後半戦は、自分が投げた試合は絶対に落とせないというプレッシャーが強かった。

 (1993年に)ベイスターズに変わって、チームが若返った。そこから各選手が経験を積んで、やっとという感じでしたよね。97年に優勝争いができたから、98年はチーム全体が優勝を意識して戦えたと思う。

 自分のコンディションはベストじゃなかったし、もっと若い時期のほうがボール自体は全然良かったと思う。98年は肘に痛みもあったし、ぼろぼろでしたよ。

 東北福祉大からドラフト1位で入団したのは須藤豊監督が就任した90年。翌91年に17セーブを挙げてクローザーとして頭角を現したが、チームは6年連続(91~96年)でBクラスに沈んでいた。

 佐々木 入った当初は口では「優勝」と言うけれど、実際は弱いチームだった。だんだんと力が付いて、チーム全員が本当に優勝したいんだと思ったときに強さが出る。97、98年のチームとそれまでの違いは、本当に優勝を意識してやるかの違いだったと思う。

 ベイスターズの38年ぶりの日本一は、ミーティングを廃止するなど選手の自主性を尊重した監督・権藤博の存在なくして語ることはできない。その采配の妙とは-。

 佐々木 自由、自由といわれていたけれど、そんなに自由じゃないんですよ。指示を出すところは出すし、後は自分たちで考えてやる。でも自分たちの責任が伴うから、任されるというのは一番きついんですよ。でも、そのおかげで考え方とか意識が変わって、大人の野球ができるようになる。本当のプロのチームになってきたといのはそういうところだと思う。

 七、八回とかここでどうしても1点欲しいんだというところで中軸の打者にもバントをさせる。普通なら文句を言うよね。でも選手は文句を言わずにやる。そこが監督(の力)でしょう。

 98年、ベイスターズは6月下旬に首位に立つと、シーズン終盤には2位・中日との直接対決で7連勝を飾るなど、勝負強さを発揮した。権藤氏は今、「98年の日本一は佐々木の存在なくしてなし得なかった」と振り返る。バッテリーコーチから昇格した指揮官からはそれほど絶対的な信頼を置かれていた。

 佐々木 あの年はドラゴンズとの直接対決でめちゃくちゃ強かった。そこでの一発の戦い方は97年のヤクルトとの優勝争いで経験してきたし、97年は逆にうちが弱かったからやられたんだよね。

 (権藤氏に)しんどい時は「(調子は)どうなんだ」とか聞かれたけれど、野球のことはほとんど話さなかった。お前に任せているからなと。逆にそう言われるから絶対に落とせないという思いもあった。

 優勝した翌99年はリーグ3位に終わり、連覇を逃した。そのオフ、フリーエージェント(FA)権を行使して大リーグ・マリナーズへ移籍した。ただ、2004年の日本球界復帰に際し、選んだのは古巣ベイスターズだった。

 佐々木 (優勝したことによる)変化はなかったと思うけれど、ほっとしたのもあったのかな。自分も肘の手術をしたし、けがをしている選手も多かった。その影響もあったのかもしれない。

 自分としては(FA移籍で)迷惑を掛けたかもしれないけれど、横浜で終われたのはよかったと思います。

己に打ち勝つ強さを


1998年の日本一を振り返る佐々木氏
1998年の日本一を振り返る佐々木氏

 21年ぶりの日本一を目指すベイスターズへのエールを込め、佐々木さんが色紙にしたためたのは「敵は我にあり」だ。

 戦後初の三冠王で、ヤクルトなどで監督を務めた野村克也氏の言葉を拝借したといい、「スポーツ選手は敵がある前に自分自身との戦いです」と語る。

 現在ベイスターズはリーグ2位に食らい付く。2005年の現役引退後も長く低迷していた古巣のことは気になっていたようで、「歯がゆかったですよね。これだけの選手がそろっているのに」と久しぶりの優勝争いに胸を躍らせている。

 ペナントレースはこれから佳境に入るが、最後に明暗を分けるのは、己に打ち勝つ強さだと見ている。


ささき・かづひろ 1990年に東北福祉大からドラフト1位で入団。98年に45セーブ(登板51試合)、防御率0・64の成績で、38年ぶりのリーグ優勝と日本一に貢献した。2000年から大リーグ・マリナーズでクローザーとして活躍。04年に横浜へ復帰し、翌05年に引退した。日米通算50勝54敗381セーブ。現在は野球解説者。宮城県出身。51歳。


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