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沖縄戦の記憶(6)
移住し伝える実相

社会 神奈川新聞  2019年08月21日 11:11

一中学徒隊資料展示室、摩文仁

 「あの時、辰夫は俺をじっと見ていたんだ。今でも思っている。『辰夫、許してくれ』と」

 2010年夏、福岡県の大学4年生だった大田光さん(30)は沖縄戦終焉(しゅうえん)の地、摩文仁(まぶに)(沖縄県糸満市)にいた。沖縄戦をテーマに卒業論文を執筆するためだった。

 「鉄血勤皇隊」だった山田義邦さん=享年(89)=が亡き親友に線香を手向け、語り続けた。太平洋を見下ろす岩場は親友が最期を迎えた自然壕(ごう)のそばだった。

 日本軍の組織的戦闘が終わったとされる1945年6月23日の5日前、山田さんは、戦闘に巻き込まれて大けがをした宮城辰夫さん=享年(17)=から求められるままに手りゅう弾を手渡した。しばらくして爆発音が響いた。「生きて虜囚の辱(はずかし)めを受けず」と徹底的に教育されていた。「俺もあとで行くから」と、当時は信じて疑わなかった。


宮城辰夫さんの写真を示しながら、平和ガイドの中学生に解説する大田さん=沖縄県糸満市の市役所
宮城辰夫さんの写真を示しながら、平和ガイドの中学生に解説する大田さん=沖縄県糸満市の市役所

 山田さんと宮城さんは県立第一中学校(一中、現・首里高校)の同級生。45年3月の卒業と同時に鉄血勤皇隊に動員され、戦地にかり出された。山田さんは重傷を負いながらも生き残り、戦後は毎週、この地を訪れていた。

 手を合わせる後ろ姿を見詰めながら、大田さんは憤りとも疑問とも言えぬ思いに駆られた。

 「まだ17歳なのになぜ死ななければいけなかったのか」「山田さんはどんな気持ちで生きてきたのか」

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 大田さんは大阪府吹田市出身。沖縄には縁もゆかりもなく、高校時代に名ばかりの修学旅行でマリンレジャーに没頭した青春の楽しい思い出の地だった。

 大学3年時に日本近代史のゼミに入り、卒業論文のテーマを探そうと大学の研究室で文献を読むうちに沖縄戦や「ひめゆり学徒隊」の存在を知った。その年の夏休みに沖縄を訪れ、体験者から直接証言を聞いた。本土決戦の時間稼ぎのためにこれほど多くの住民が巻き込まれたのだと知り、沖縄への意識が変わった。


沖縄県立第一中学校(現・首里高校)のクラス写真を示しながら解説する大田さん=那覇市の一中学徒隊資料展示室
沖縄県立第一中学校(現・首里高校)のクラス写真を示しながら解説する大田さん=那覇市の一中学徒隊資料展示室

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