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THE REAL 1964
最高の瞬間に思いはせ セーリング・吉田正雄

スポーツ 神奈川新聞  2019年08月20日 10:54

1964年東京五輪セーリング日本代表の吉田さん。後輩たちへは「自信を持って」とエールを送る=横浜市南区
1964年東京五輪セーリング日本代表の吉田さん。後輩たちへは「自信を持って」とエールを送る=横浜市南区

 開幕まであと1年を切った2020年東京五輪。1964年東京大会にセーリング日本代表として出場した吉田正雄さん(86)=横浜市南区=も、再び江の島沖で開催される最高峰の舞台を心待ちにする。戦後の高度経済成長期まっただ中の当時とは世相も異なるが、記憶は色あせない。今も現役で艇に乗る「レジェンド」は、人生最高の瞬間という栄光の日々に思いを巡らせる。

 横浜の吉田さん宅。セーリング仲間らと一緒に映る数え切れないほどの写真の山から一枚を手に取り、昨日のことのように声を高ぶらせた。

 64年8月29日。完成したばかりの江の島ヨットハーバーで東京五輪セーリング代表(5・5メートル級)を決める選考レースは行われた。同僚の松本富士也さん、萩原毅さんと出場したチームは接戦を制して五輪切符を獲得したという。

 写真は本紙カメラマンが撮影し、後に吉田さんへ提供されたもの。歓喜に沸く仲間に海へ放り投げられたシーンだ。「勝った時はこんなにうれしいことはなかった。みんな僕らのゴールを(岸で)待っていてね。最高の気持ちだった」-。

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 生まれは横浜市中区の若葉町で、父は「げた店」を営む4人きょうだいの末っ子。幼少から大岡川で釣りをしたり、父の伝馬船に乗って海に出たりした。

 終戦を迎えたのは中学1年の頃だった。空襲から命からがら逃げた経験もあり、戦後も「どこも食べることに一番困った」という厳しい時代を生き抜いてきた。

 日大高3年時に近所の先輩が所有するシーホース級に乗ったことをきっかけに、日大進学後から競技に没頭した。4年時には主将として関東学生ヨット選手権で団体優勝に導くなど名を挙げ、実業団の名門・巴工業(本社・東京)に入社。その後は海外へ“武者修行”に出るなど技を磨いた。戦後復興後の高度経済成長期と重なり「どん底からはい上がって、何事も上向き。本当にいい人生だった」と懐かしむ

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