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厚木基地物語
過密地の軍事基地(3)横浜・ファントム墜落事故

社会 神奈川新聞  2019年08月16日 17:39

 1973年9月。訪日中の米国防副長官、ビル・クレメンツが、東京の外務省で幹部と会談した。機密指定の解除された米側の公文書に、内容が詳述されている。

 ひとしきり東アジアの外交情勢について意見を交わすと、クレメンツは「在日米軍基地の実情」に関する日本側の考えをただした。

 外務省幹部は「以前よりも状況は複雑だ。今では、地域住民への影響に関して自治体からの働きかけが強まっている。頭が痛い」。その後を、別の幹部が続けた。「デタント(米ソ緊張緩和)の進展で、地域住民は米軍の必要性を感じていない。日米地位協定や国内法に触れないよう、細心の注意が必要になっている」

 話題は、自衛隊と米軍の基地共同使用に移った。外務省は「地域は民間利用のため基地返還の方を望んでいる」。これに対してクレメンツが強調したのは、日米連携の意義だった。「ニクソン大統領も言ったが、デタントには強さが欠かせない。弱い立場では深刻なトラブルに陥る」

 その後に空母「ミッドウェー」が横須賀に入港。厚木は空母艦載機の拠点となる。さらに同年冬には、海上自衛隊の航空集団司令部が下総基地(千葉県)から厚木に移転してきた。周辺が過密しつつあった厚木が、日米部隊の連携を象徴する拠点となっていった。

 そして、ふたたび大惨事が起きる。1977年9月27日の昼過ぎのことだ。


住宅街に墜落した米軍機の残骸=1977年9月、横浜市緑区(現青葉区)
住宅街に墜落した米軍機の残骸=1977年9月、横浜市緑区(現青葉区)

 洋上の空母に向かって厚木基地を飛び立ったRF4B偵察機ファントムのエンジンが、空中で火を噴いた。そのまま機体は横浜市緑区(現青葉区)の新興住宅地に突っ込む。墜落現場の住宅は火に包まれた。

 死傷者は9人。このうち家にいた3歳と1歳の兄弟は全身にやけどを負い、病院で息を引き取る。その母親もやけどに苦しみ、皮膚の移植を繰り返したが、4年後に亡くなった。

 米軍機のパイロット2人は墜落直前に脱出していた。厚木から急行してきた自衛隊の救難ヘリコプターは、2人を収容して飛び去った。

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