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厚木基地物語
過密地の軍事基地(2)米軍機墜落と基地の日米共同使用

社会 神奈川新聞  2019年08月16日 16:51

 渋滞の名所として知られる東名高速道路の大和トンネルは、長さが300メートルに満たない。付近に山があるわけでもなく、地下道のような構造だ。

 トンネルの南には厚木基地の滑走路が延びる。墜落に備えて被害を軽減させるため、“大動脈”と米軍機の飛行ルートが交わる地点が、トンネル構造になっている。

 このトンネルがある地のすぐそばの雑木林に、慰霊塔が立っている。1964年9月8日午前に起きた大惨事をしのばせるものは、ほかにはない。


米軍機の墜落で大破した鉄工所=1964年9月、大和市内
米軍機の墜落で大破した鉄工所=1964年9月、大和市内

 基地で離陸訓練をしていた戦闘機F8クルセイダーが、飛び立った直後、上空50メートルで失速した。エンジンの故障だったという。

 戦闘機は滑走路の北側にある林をなぎ倒しながら、鉄工所に突っ込む。作業場にあったアセチレンボンベに火が付き、爆発が起きた。鉄工所にいた3人が即死、入院した2人も後に死亡。重軽傷者が4人。建物全壊は3棟だった。

 操縦していたパイロットは墜落直前に脱出して無事だった。「人家のないところに機体を誘導しようとしたが、木で遮られた人家があることが分からなかった」と説明したという。


米軍機が墜落した事故現場に立つ慰霊塔=2019年3月、大和市内
米軍機が墜落した事故現場に立つ慰霊塔=2019年3月、大和市内

 この時期はベトナム情勢が緊迫を強めていたころと重なる。米連邦議会では8月に「トンキン湾事件」の決議がされたばかりだった。厚木基地の周辺でも米軍機の訓練が過密化し、騒音被害も深刻さを増していた。

 厚木基地への飛行ルート直下に当たる地域は、旧調達庁(後の防衛施設庁)が住民の移転費用などを補償して跡地を買収してきた経緯がある。事故現場もこの区域内にあったが、国の買収から漏れていた地に鉄工所が操業していた。

 事故後、再発防止策を検討した日米両政府は、厚木基地周辺の土地の買収を加速させることでも合意した。墜落事故現場も国が買収し、国有地となった。支援団体の立てた慰霊碑は、フェンスに囲まれ、普段は近づくことはできない。

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 1970年代に入ると、在日米軍の大幅な整理の動きが進みだす。ベトナム戦争で膨らんだ国防費圧縮を狙い、米ニクソン政権が在外部隊の大削減を図ったためだ。

 米政府内には、大胆な基地縮小を懸念する声も上がった。

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