1. ホーム
  2. 社会
  3. 「戦争は二度と嫌」 三浦で戦没者追悼式

平和つなぐ 戦後74年の夏
「戦争は二度と嫌」 三浦で戦没者追悼式

社会 神奈川新聞  2019年08月16日 05:00

横浜大空襲体験
栄さん参列し黙とう


三浦特産のスイカを食べながら亡き人たちの思い出を語り合う参列者=市戦没者慰霊堂
三浦特産のスイカを食べながら亡き人たちの思い出を語り合う参列者=市戦没者慰霊堂

 終戦から74年を迎えた15日、三浦市内でも、戦没者追悼式が開かれた。太平洋戦争で父を亡くし、自らも横浜大空襲に見舞われた市遺族会副会長の栄貴代さん(80)=同市天神町=も参列。黙とうをささげ、戦死者らを悼んだ。

 栄さんは6歳の時、横浜大空襲を経験した。

 1945年5月29日。その日は、横浜市中区で同居する祖母の誕生日だった。「おばあちゃん、今日は誕生日だね」。栄さんのその声をかき消すように、空襲警報が鳴り響いた。

 焼夷(しょうい)弾で煙が立ち込め、午前なのに周囲は暗闇に包まれた。火の粉を振り払いながら、母、祖母と近くの小学校まで逃げた。

 約1週間後、自宅を見に行くと、瓦屋根がそのまま地面に落ち、水を張った風呂と金魚が泳ぐ池以外、跡形もなかったという。都内の親戚宅に1カ月ほど身を寄せた後、45年7月に三浦市内に転居し、終戦を迎えた。

 空襲警報に日々おびえて暮らしていた頃、毎晩おねしょをしていた。だが終戦後、ぱたりとしなくなったという。栄さんは「自分でも不思議だった。精神的に追い詰められていたのだと思う」と振り返る。

 軍属だった父は45年2月に南シナ海で戦死したことを戦後、知った。フィリピンで亡くなった、同じく同会副会長の岩野尚子さん(76)の父と同様、遺骨はいまだ見つかっていない。

 74回目の終戦の日。栄さんは他の参列者約10人と、市戦没者慰霊堂(同市城山町)に焼香を上げ、正午に黙とうした。「戦争は二度と嫌。節目だけでなく、常に思っている」と栄さん。同会の会員も高齢化し、参列者は年々減っているが、「これからも追悼式を続けていきたい」と話した。


シェアする