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平和つなぐ 戦後74年の夏
広島変えた日 描き語る 絵本作家・西村繁男さん

社会 神奈川新聞  2019年08月14日 12:15

 絵本作家の西村繁男さん(72)=相模原市緑区=が自身の絵本を使って、広島で被爆し2年前に他界した語り部の佐伯敏子さん(享年97)の平和への願いを子どもたちに伝え続けている。用いている絵本は、佐伯さんら被爆者への聞き取りを重ね、24年前に出版したもの。人々の暮らしがあった広島を一瞬で変えた日から74年、西村さんの継承しようという気持ちは増すばかりだ。

 「ここに描かれているのは中学生たちですが、一人も生き残れなかった」

 西村さんが絵本「絵で読む広島の原爆」の原画を手に語り始めると、子どもたちは原爆投下直前を描いた絵に目を凝らしながらじっと聞き入っていた。

 7月10日、市立桜台小学校(同市南区)であった6年生対象の特別授業。「描きたいと思ったのは、佐伯さんという被爆者との出会いがあったから」。招かれた西村さんは、作品に込めた思いを70人ほどの児童たちに明かしていった。

ずっと宿題


絵本の原画を手に、広島の原爆について授業する西村繁男さん=相模原市立桜台小学校
絵本の原画を手に、広島の原爆について授業する西村繁男さん=相模原市立桜台小学校

 1945年8月6日、25歳だった佐伯さんは広島市内で被爆し、母や妹ら親族計13人を失った。その後、原爆症に苦しみながらも、ボランティアとして市内にある原爆供養塔を毎日掃除し、遺骨の遺族を探す活動をしていた。

 2人の出会いは70年代後半。西村さんは芸術家仲間とともに、まだ面識のなかった佐伯さんの絵と文章で原爆についての本を作っていたが、佐伯さんの考えで取りやめになった。

 「まずは広島のことをよく知ってほしい」。そんな手紙を受け取り、西村さんは初めて広島を訪れる。初対面の佐伯さんに供養塔の内部を案内され、数千もの遺骨箱と対面した。

 「一度も広島に行かずに向き合える問題ではないことを突き付けられた。『いつか広島を絵本に』がずっと宿題でした」。それに向き合えたのは91年だった。

 原爆の全体像を描く本を作りたいと考えていた「ズッコケ三人組」シリーズで知られる那須正幹さんからパートナーに指名された。広島で被爆した一人である那須さんが文章を、西村さんが絵を担当することになった。

聞いた責任

 70年代から、佐伯さんは広島を訪れる修学旅行生らに被爆体験を伝える語り部となっていた。

 西村さんは広島に1年間家を借り、修学旅行生らと一緒に佐伯さんら被爆者の話を聞くことから絵本作りを始めた。描いたのは原爆の犠牲になった人たちの姿だけではなく、原爆投下の瞬間まであった人々の生活だった。絵本は95年に出版され、西村さんの代表作の一つとなった。

 2人の交流は亡くなる直前まで続いた。思い出すのは「私の話を聞いた人には聞いた責任があるんよ。自分のできることをやってください」という言葉だ。

 できることは何かと問い続けてきた西村さんは「被爆者の高齢化とともに伝承活動が風化の危機にさらされている。絵本を使って佐伯さんの思いを語り続けたい」と、出版間もない頃から全国各地で原画展や講演会を続けてきている。

戦後生まれ

 原爆について話してほしいという依頼があれば、都合のつく限り足を運ぶ。そこで必ず語るのは佐伯さんの思いだ。

 桜台小学校での授業でも西村さんは、佐伯さんの被爆体験などを語り掛けた。

 「二度とあってはならないと多くの人に伝えていくことが大切。被害は誰かが語り伝えないと消えていってしまう。戦後生まれの私は佐伯さんからバトンを受け取った一人だ」。託されたバトンを子どもたちらに受け取ってもらえる日がくることを願っている。


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