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ヘイトスピーチ考
時代の正体〈517〉朝鮮人追悼文取りやめ問題(下)隠蔽と分断に抗うため

時代の正体 神奈川新聞  2017年09月05日 09:12

小池都知事の追悼辞拒否問題の経過を説明する田中教授=9月2日、久保山墓地
小池都知事の追悼辞拒否問題の経過を説明する田中教授=9月2日、久保山墓地

【時代の正体取材班=石橋 学】2日朝、東京都知事、小池百合子のコメントが載った朝刊紙を手に専修大教授の田中正敬は、その徹底ぶりに強い意図を感じ取っていた。その前日、小池は定例記者会見で関東大震災における朝鮮人虐殺の事実をどう捉えているかを問われ、答えていた。

 「いろいろな歴史の書の中で述べられている。さまざまな見方がある」

 虐殺の事実は歴史認識の問題ではない。あったものはあった。それ以外に答えはない。だが、小池は、あったと考えるのか、なかったと考えるのかと再質問されても「あった」とは決して口にしなかった。

 「いろんな史事として書かれている。どれがどういうのかというのは、まさしく歴史的な、歴史家がひもとくものではないか」

 「あった」と言わないことで「虐殺はなかった」というデマの否定を避ける。そうして虚説が存在する余地を残す。市民や研究者らでつくる「関東大震災朝鮮人虐殺の国家責任を問う会」の事務局長でもある田中は、歴史の隠蔽(いんぺい)と分断の明確な意志をそこに見ていた。

結果責任問う


 その足で向かった横浜市西区の久保山墓地で開かれた朝鮮人犠牲者追悼式。参加者を前にマイクを握った田中は「今年は例年と異なる二つのことがあった」と切り出し、東京都墨田区の横網町公園で行われた朝鮮人犠牲者追悼式を巡る問題の経過を説明した。

 朝鮮人追悼碑のすぐ裏で、碑の撤去を求める歴史否定主義団体「そよ風」などによる慰霊祭をかたった集会が行われたこと。都の許可を得て、それも同日同時刻に。

 そして、都議会での質問をきっかけに、小池が朝鮮人追悼式に出してきた追悼の辞を「大法要で犠牲となったすべての方々への追悼を行うため、特別な形で提出することは控えたい」と取りやめ、地元の墨田区長も追随したこと。その質問を行った都議の古賀俊昭の主張が、虐殺の引き金となった「朝鮮人が暴動を起こしている」という流言はデマではなく事実であり、朝鮮人は正当防衛によって殺されたという、暴論を通り越した冒とくであるにもかかわらず。

 田中は「あえて抑制的に言うが」と続ける。

 「小池知事は民族差別という観点を度外視して、災害の犠牲者と虐殺の犠牲者をひとくくりにし、記者会見や『すべての方々への追悼』の辞の中で朝鮮人への言及を一度もしなかった。『虐殺はなかった』と主張する側の要求に沿う決定を下し、結果としてその主張に共鳴してみせ、歴史の事実を隠蔽したということになる」

 そして「歴代の都知事が出してきた追悼辞を出さないという意味はもう一つある」と付け加えた。「慣例の転換。つまり追悼辞を出すことで公的な行事であった朝鮮人追悼式を私的な行事に変える意味合いが込められているのではないか」

 田中は小池の判断の過程に加え、結果に対する責任が問われなければならないと考える。

 「歴代の知事がこれまで追悼文を送ってきた主催の市民団体と距離を置くことにより、もう一方に肩入れしているとしか映らない。実際、虐殺はなかったという側の動きを助長しているばかりか手を貸している」

 公の後ろ盾を得て勢いづく碑の撤去を求める企てが意味するものは歴史を消し去るだけにとどまらない。碑がなくなれば集いの場を失う。それは公園からの排除、地域社会からの排除を意味する。朝鮮人はうそつきだというデマがまかり通り、排除が正当化されれば、それは、暴動を起こしているという流言から朝鮮人は殺しても構わないと凶行に走った94年前と何ら変わらない。

 行政自らが流言を流し、自警団を組織させ、虐殺を行った過去を反省する日でもある9月1日に許可されたヘイト団体の集会と述べられなかった追悼辞。

 「何より行政の基本的なスタンスは弱者、少数者の側に立つということにあるはずだ。まさに朝鮮人犠牲者はマイノリティーに他ならなかったのだが」

 田中の嘆きは、「朝鮮人」という言葉を徹底して避けることで「都民ファースト」として尊重されるべき存在に在日コリアンは含まれないと暗示してみせた、小池の差別と排外の思想と、その責任の重大さを浮かび上がらせてもいた。

真相究明こそ


関東大震災殉難朝鮮人慰霊之碑に献花する山本さん=久保山墓地
関東大震災殉難朝鮮人慰霊之碑に献花する山本さん=久保山墓地

 久保山の追悼式の主催団体「関東大震災時朝鮮人虐殺の事実を知り追悼する神奈川実行委員会」の代表で、元横浜市立小学校教諭の山本すみ子(78)は「だからこそ」と強調した。

 「朝鮮人虐殺は起きた1923年から隠蔽されてきた。研究者や市民運動が懸命に研究を重ね、事実を少しずつ明らかにしてきたなかで、再び隠蔽されようとしている。いまこそ真相究明の動きを強めなければならない」

 政府の中央防災会議の報告書「1923関東大震災第2編」も「殺傷事件による犠牲者の正確な数は掴めないが、震災による死者数の1~数パーセントにあたり、人的損失の原因として軽視できない」と指摘している。犠牲者の数が不明確であることをもって「虐殺はなかった」などと言い募る声が大きくなる今こそ、その余地を与えている、いまだ不明確である責任を政府に突き付け、調査を求める動きを広めていかなければならない。

 8月30日、山本は韓国・釜山に飛んだ。朝鮮人虐殺の被害者遺族が真相究明と賠償を求める遺族会を立ち上げた場に参加するためだった。「会の名前は『関東大地震朝鮮人大虐殺犠牲者遺族会』。ただの虐殺じゃない。大虐殺だ。そこからして認識が違う」

 強制徴用や旧日本軍慰安婦、原爆の被爆者の遺族会は存在するが、朝鮮人虐殺の遺族会結成は初めてだという。虐殺の実相を追うドキュメンタリー映画を製作中の在日コリアン2世、呉(オ)充(チュン)功(ゴン)は言う。「なぜこれほど時間がかかったのか。日韓両政府の問題だが、何も分かっておらず、知らされていないからだ」

 取材でたどり着いた7家族で遺族会を立ち上げた。思いを代弁するスピーチが慟哭(どうこく)にも似て重く響く。

 貧しい村々を出て釜山港から日本に渡って1年、2年の間に殺され、ほとんどが日本語も分からず、山に海に追われて、殺されました。一家の大黒柱である長男が多く、年齢は20代後半から30代が多かった。家族は帰ってこなかった長男がどこでどのように亡くなり、どこに骨があるのかも分かっていない。誰が殺したのかも、火事で焼け死んだのか、水に溺れて死んだのかも-。

 「これが国を奪われたわが朝鮮民族の悲しい運命だったのです。長男、次男、三男、長男の妻、その4歳の子ども、そしておなかの赤ちゃんを入れて6人が殺された一族もいます。刀でおなかを切り裂かれて殺されたという記録もあります」

 呉は1日、横網町公園での光景を目に焼き付けた。

 「殺された朝鮮人を悼むのではない集会が行われていた。94年を経てなお虐殺の事実を認めず、歴史をねじ曲げる。これは虐殺された朝鮮人を二度殺すことだ」

 山本は遺族会の立ち上げが釜山で行われると聞き、行かなければならないと思ったのだという。

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