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関東大震災虐殺考
時代の正体〈394〉副読本改訂問題(上)消されゆく「虐殺」

時代の正体 神奈川新聞  2016年09月23日 12:21

市民団体「歴史を学ぶ市民の会・神奈川」が情報公開請求で入手した新副読本の原案
市民団体「歴史を学ぶ市民の会・神奈川」が情報公開請求で入手した新副読本の原案

 横浜市教育委員会が新たに作成中の中学生向け副読本の原案で関東大震災における朝鮮人虐殺が取り上げられていないことが分かった。副読本を巡っては保守系市議が虐殺に関する記述を批判し、市教委が「虐殺」を「殺害」に書き換えるなど歴史教育の後退が続いてきた。政治の介入を許す教育の独立の放棄は、伝えるべき史実に触れないという教育の放棄にまで行き着くのか。経緯を振り返り、「虐殺の地」に生きる私たちが何をなすべきかを考えたい。

 〈9月1日、11時58分、相模湾を震源とする大地震が起きました。この地震とその後の火災で、横浜の市街地は、ほぼ壊滅状態となり、開港60年の横浜の繁栄は、一瞬にして灰となってしまいました。

 震災で出た瓦礫で埋め立てをし、生まれた公園が山下公園です。

 関東大震災については多くの資料があります。ぜひ調べてみてください〉
 新しい副読本「Yokohama Express」の原案で関東大震災に関する記述の、これがすべてだ。

 市教委が独自に作る副読本で朝鮮人虐殺について触れたものは社会科用の「横浜の歴史」1974年度版が最初だ。90年度版から詳述されるようになり、理科や総合的な学習でも使えるよう「わかるヨコハマ」に刷新された2009年度以降も記述は続いてきた。

 市教委は原案は「あくまでたたき台」と強調するが、横浜の子どもたちなら知っておくべき横浜ならではの事柄を学ぶ副読本で、虐殺事件を取り上げない原案が練られたこと自体が時代の画期を映し出す。

 作成を担当する市教委指導企画課の三宅一彦課長の説明からはしかし、その重大さに対する自覚は伝わってこない。

 「レイアウト上の制約があるなか、ほかのことから書き進めていったところ、文字数がちょうどはまったということ」

 虐殺事件に触れていないのはスペースの問題にすぎないと言いたいようだが、字数に限りがあるからこそ何を盛り込み、何を盛り込まないかの取捨選択はなされる。つまり積極的か消極的かにかかわらず、横浜における虐殺の歴史は教えなくてよいという判断が働いた結果が、この原案である。

 三宅課長は「個人的には」と断った上で「事実として取り上げてもよいと考えている」と付け加えるが、この口ぶりにも現れている腫れ物に触るような忌避の態度、教育行政の主体性も職責の重みも感じさせない姿勢はいまに始まったことではなかった。

反論なきまま


 12年7月19日の市会常任委員会こども青少年・教育委員会で副読本批判の口火を切ったのは自民党の横山正人市議だった。わかるヨコハマ12年度版は関東大震災における虐殺事件を次のように説明していた。

 〈(「朝鮮人が井戸に毒を入れる・暴動を起こす」などの)デマを信じた軍隊や警察、在郷軍人会や青年会を母体として組織されていた自警団などは朝鮮人に対する迫害と虐殺を行い、また中国人も殺傷した。横浜でも各地で自警団が組織され、異常な緊張状態のもとで、朝鮮人や中国人が虐殺される事件が起きた〉

 横山氏はこの記述を「わが国の歴史認識や外交問題に極めて大きな影響を及ぼしかねない」と問題視。「あたかも軍や警察が自警団とともに朝鮮人を虐殺したとなっている」「虐殺という表現はナチやポル・ポトの大量虐殺とかで使う表現。世間で使われる表現ではない」と指摘し、副読本の改訂と回収を求めた。

 これはしかし、考慮に値しない批判だった。震災当初、軍隊・警察が流言を信じて虐殺に関与したことは歴史研究が明らかにしてきた揺るがぬ史実だ。だから中学・高校の歴史教科書でも関与の事実が記述されている。

 「虐殺」という表現も、第一線の研究者が08年にまとめた内閣府の中央防災会議調査報告書「1923関東大震災第二編」で「武器を持った多数者が非武装の少数者に暴行を加え殺害するという虐殺という表現が妥当する例が多かった」とされており、虐殺と表記している教科書は少なくない。虐殺の主体を軍隊・警察としている教科書が外交問題になったことはなく、そうである以上、副読本が問題になるはずがなかった。

 従って市教委は横山氏の不見識をただせばよいだけのことだった。ところが答弁した山田巧教育長(当時)は「誤解を招く内容になっている」「虐殺という言葉は非常に強い、一定の主観が入った言葉だ」として、その場で改訂と回収を約束してしまう。どこがどう誤解を招くのか具体的に示すことも、歴史研究の成果を示し反論することもないままに、である。

曲解にも同調



 市民団体や歴史研究者による抗議をよそに、13年度版のわかるヨコハマは「虐殺」が「殺害」に書き換えられ、その主体から「軍隊や警察」が削除された。

 副読本批判はなおも続いた。14年10月1日の市会決算特別委員会で維新・ヨコハマ会の小幡正雄市議が問題視したのは副読本の活用度だった。「関係者に聞くと活用は10%程度。ほとんど活用されていない。分厚いものが本当に必要なのか」と疑問を呈し、英語を取り入れた副読本に刷新することを提案。岡田優子教育長は同調し「編集の工夫を研究する」と約束する。

 だが、小幡氏の提案の前提となった「横浜市教育活動実施状況調査(中学校副読本の活用状況)」の結果は「充分活用している」が10・96%、「活用している」が33・56%、「一部活用している」が55・48%というものだった。この結果をもって「活用は10%程度で、ほとんど活用されていない」というのは曲解というほかない。

 15年2月24日の市会定例会で小幡氏は再び「10%の活用状況」を持ち出し、グローバル人材育成のためという新しいコンセプトの副読本を再提案。岡田教育長は「グローバル人材育成も視野に入れ、活用しやすい副読本になるよう検討する」と応じたのだった。

 そうして市教委指導主事の手でまとめられた新副読本の原案は全79ページ。300ページ以上あったわかるヨコハマから大幅に圧縮され、虐殺の記述も消えた。

公の職責重く


 少なくとも45%が、「一部」を含めたら100%が活用していると回答した調査結果から、どのようにしたら「活用されていない」という解釈が成り立つのか、記者の質問に対する市教委の答えは「うまく説明できない」だった。「読み物中心の副読本は使いづらいという現場教員の意見を聞いた」と補足するが、「活用されていない」という前提が存在していない以上、改訂理由の説明として十分なものとはいえない。

 説明にならない説明ににじむ政治の圧力に対する忖度(そんたく)と迎合。だが、市教委が恐れるべきは批判ではない。教育行政として危機を覚えるべきは、史実を無視した歴史を公然と語り、外交問題になるなどという妄言を振りかざして教育行政に介入する不遜、曲解をもって自説を押し通す厚顔に、である。

 政治によって伝えるべき歴史が隠され、ねじ曲げられようとしているのなら、なおさら伝え続け、正していかなければならない。教育者であれば知っているはずだ。関東大震災における虐殺は混乱のなか、パニックに陥った人々が凶行に走ったという単純な話ではなかった。

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