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神奈川新聞と戦争
(97)1941年 「冬の時代」に存在感

神奈川新聞と戦争 神奈川新聞  2019年08月09日 05:00

生活を切り詰め貯蓄すれば軍艦や戦闘機の増産に貢献できる、とした赤玉ポートワインの広告。社名は左下に小さくあるだけ=1941年10月10日付神奈川県新聞(神奈川新聞の前身)
生活を切り詰め貯蓄すれば軍艦や戦闘機の増産に貢献できる、とした赤玉ポートワインの広告。社名は左下に小さくあるだけ=1941年10月10日付神奈川県新聞(神奈川新聞の前身)

 「この戦争がはたして寿屋[後のサントリー]の歴史にとって、どれほどマイナスになり、どれほどプラスになったかは、微妙なところである」。サントリー編「サントリーのすべて」(1965年)にある。

 総動員体制下、洋酒メーカーも戦争遂行に協力せざるを得なかった。42年、海軍の命令で那覇市郊外に航空燃料ブタノールの製造工場を建設。44年には本拠地の大阪工場にも航空燃料の新工場を建設したが、いずれも45年の沖縄戦、大阪空襲で焼失した。

 一方で、営業面は戦争による特需があった。「民需にたいする統制が、“軍需品”への肩代わりによってカバーされたことは、ことの善悪はともかく、社業にとっては幸運なことだった」と同書にある。

 その一つが、赤玉ポートワインが軍納用として製造されたことだ。社史「やってみなはれ-サントリーの70年Ⅰ」(69年)は、ウイスキーと戦争の関係について指摘する。執筆者は、寿屋宣伝部に在籍した直木賞作家、山口瞳。「ウイスキーは男の酒である。強い酒である。軍隊にとっては特に無くてはならぬ酒である」。特に英国式の海軍に愛され、保護を受けた。

 余談だが、創業者の鳥井信治郎は、必ずしも利益のために軍部に取り入ったわけでもなかった。同書に、陸軍糧秣廠(りょうまつしょう)からビタミンP入りウイスキーの製造を命ぜられ、試作品を飲んだ際に「こんなもん陸軍に納めるわけにはいきまへん」と怒った逸話がある。もしこれを契機に「陸軍への出入りを差しとめるようであるなら、かまわないから、こちらで断ってしまえ」と「安易で確実な儲(もう)けぐちを放棄」してまで「製品に対する愛情」を優先した。

 戦時体制は、新聞広告をものみ込んだ。38年の国家総動員法は新聞用紙を制限。難波功士著「撃ちてし止まむ-太平洋戦争と広告の技術者たち」によると、広告欄は「段数制限が始まり、全頁(ページ)広告が廃止され、その段数は最大七段から五段、三段へと順次縮小していった」。42年新設の広告税が「広告活動へのトドメ」に。広告の量は戦前のピークの37年比で4割弱に落ち込んだという。

 だが、そうした「広告冬の時代」にあって存在感を増したのが、赤玉ポートワインの広告だった。


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