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神奈川新聞と戦争
(96)1932年 戦意高揚のデザイン

神奈川新聞と戦争 神奈川新聞  2019年08月06日 05:00

「横浜 株式会社寿屋麦酒工場醸」とあるオラガビールの広告。「古布子まとふて天下を闊歩(かっぽ)するオラガはビールの黒シヤツ党」の文句にある黒シャツ党とはムッソリーニが組織したファシスト党の行動隊=1932年6月14日付横浜貿易新報
「横浜 株式会社寿屋麦酒工場醸」とあるオラガビールの広告。「古布子まとふて天下を闊歩(かっぽ)するオラガはビールの黒シヤツ党」の文句にある黒シャツ党とはムッソリーニが組織したファシスト党の行動隊=1932年6月14日付横浜貿易新報

 「大将は新聞広告にはとても熱心で毎朝、朝・毎・読はもちろん、地方紙もあわせて約三十紙ぐらいの新聞にはかかさず目をとおし、特に広告面には眼を光らしていた」。大将とは寿屋(後のサントリー)を創業した鳥井信治郎。社内でそう呼び習わされていた。十河厳著「宣伝の秘密-サントリー宣伝物語」(1966年)の記述である。

 「広告をだすと必ずその結果があらわれてくることを信じ(略)掲載新聞の選択や、その時期、地域の敏速な決定ぶりなど、その勘のよさはまったく名人芸とでもいいたいぐらいだった」と同書。ポスターや看板、ラベル、瓶の形などデザインに対するセンス、こだわりは並外れていた。

 鳥井が18年、寿屋の広告責任者として引き抜いたのは、森永の宣伝部長を務めた片岡敏郎。同時期には、大阪時事新聞社で図案広告を手掛けていた俳画家の井上木它(もくだ)も寿屋に招かれ、ラベルや新聞広告のデザインを担当した。井上の「強いタッチと、簡明な線による画風は、各社の広告デザイナーに強く影響して、一時は広告界に木它流がはんらんした」という。

 コピーライターとデザイナーを擁した寿屋は後の新聞広告に大きな影響を及ぼした。昭和初期、横浜・鶴見の工場で寿屋が製造した「オラガビール」の力強いイラスト。総力戦体制下、「銃後」の食糧増産や工場労働を鼓舞した寿屋の広告の文句「姿なき戦ひに打勝て!」。読者の目を引く宣伝のセンスは相通ずる。


「姿なき戦ひに打勝て!」と題した「赤玉ポートワイン本舗」の広告=1941年9月10日付神奈川県新聞
「姿なき戦ひに打勝て!」と題した「赤玉ポートワイン本舗」の広告=1941年9月10日付神奈川県新聞

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