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ヘイトスピーチ考
時代の正体〈516〉朝鮮人追悼文取りやめ問題(中)謝罪と反省まで消され

時代の正体 神奈川新聞  2017年09月04日 09:27

「関東大震災殉難朝鮮人慰霊之碑」に手を合わせるフィールドワークの参加者=横浜市西区
「関東大震災殉難朝鮮人慰霊之碑」に手を合わせるフィールドワークの参加者=横浜市西区

【時代の正体取材班=石橋 学】小高い丘にある横浜市営久保山墓地には関東大震災の犠牲者のうち身元不明や引き取り手のない約3300人の遺骨が埋葬されている。少し離れた脇に立つ「関東大震災殉難朝鮮人慰霊之碑」を前に後藤周(68)は由来と意義を説いた。

 「50年以上、贖罪(しょくざい)の念を抱えていた一市民が市の許可を得て建てたもので、市営の追悼の場に追悼碑があるということに意味がある」

 建立は1974年。震災当時尋常小学校2年生だった石橋大司が私財を投じた。「多くの日本人は朝鮮人を虐殺したり、目撃したりしているのに口をつぐんでいる。恥ずべきことだ」。石橋は生前、朝日新聞社の取材にそう答えている。市街地に広がる猛火から一家で逃れる途中、電柱に後ろ手に縛られた血まみれの朝鮮人の遺体を目撃していた。

 元横浜市立中学校教諭の後藤は、謝罪と反省を示す碑の存在の大きさをこれまで以上に感じていた。「歴史を学ぶ市民の会・神奈川」を立ち上げ、毎年9月1日に虐殺現場と慰霊碑を巡るフィールドワークを始めたのは2012年のこと。横浜市教育委員会発行の中学生向け副読本の改訂がきっかけだった。

 「デマを信じた軍隊や警察、在郷軍人会や青年会を母体として組織されていた自警団などは朝鮮人に対する迫害と虐殺を行い、また中国人も殺傷した」という記述が市議によって問題視され、市教育委員会が改訂に応じた。虐殺の主体から「軍隊や警察」が削除され、「虐殺」は「殺害」に書き換えられた。それまであった慰霊碑の写真と説明文も消えた。

 軍隊、警察の関与は動かぬ史実で、「虐殺」の表現も中学・高校の歴史教科書で一般的に使われているにもかかわらず、むごたらしく、理不尽で、国家責任が問われるべき死が「デマに踊らされた民間人による殺害」に切り縮められ、謝罪と反省の事実も子どもたちに伝えられなくなった。

 後藤の目には今、朝鮮人犠牲者追悼式に追悼文を出すのを拒否し、「特別な形で提出することは控えた」と言ってのけた東京都知事、小池百合子の姿が重なって映る。

 経緯も似通う。副読本を批判したのは右派組織「日本会議」の地方議員連盟に所属する横山正人で、小池に追悼文取りやめを都議会で迫った古賀俊昭も議連に名を連ねる同じ自民党議員。横山は史実を度外視した、ためにする批判を重ね、追悼碑に記された6千余名の犠牲者数は「根拠が希薄」として碑の撤去までを求めるという古賀は、やはり歴史から教訓を得ようという姿勢とはほど遠い不見識ぶりを示して恥じなかった。そして、反論するどころか同調してみせた教育行政と行政の長-。

 後藤は昨年から倍近くに増えた約60人の参加者へ呼び掛けた。「市教委は写真を載せ、碑の意味をずっと伝えてきた。差別を反省し、再生産させないという誓いがあったからだ。大事な歴史の継承が、たった一人の議員に屈服した結果、途絶えている。是非みなさん、碑を見て歴史を知り、伝えていく輪に加わってください」

 

「震災作文」


虐殺の現場となった橋のたもとで当時の状況を説明する後藤さん(右)=横浜市南区
虐殺の現場となった橋のたもとで当時の状況を説明する後藤さん(右)=横浜市南区

 一行はバスで丘を下り、横浜橋商店街を抜け、中村川の橋のたもとにやってきた。94年前、川沿いには木賃宿が並んでいた。日本の植民地支配で困窮を極めた朝鮮半島から、生きるすべを求めて海を渡った出稼ぎの朝鮮人労働者が暮らす街は虐殺の舞台となった。

 「ここでは殺した朝鮮人を川に投げ捨てるということが行われています」。後藤の説明で暗転する日常の風景。当時の小学生が震災を振り返ってつづった作文を資料で示し、一部を読み上げていく。

 〈ウワーワーと叫び声「朝鮮人だ」「鮮人が攻めて来たといふ声が、とぎれとぎれに聞こえた。(中略)ズドンズドンと銃せいの音がする。男の方達は相言葉を決めたり、来たら一打にするぞとあのように力んでいるが…〉

 〈おまわりさんが、朝鮮がはものを持ってくるからきたらころしてくださいといってきました〉

 「朝鮮人が襲ってくる」という流言を治安当局者が追認し、誤った指示によって虐殺に加担していたことが分かる。惨劇を描写する筆致は淡々と、ときに憎悪をのぞかせながら続く。

 〈交番の前に朝鮮人が電柱へ針金でぎりぎりにゆはかれて半てんを着ている人に鉄の棒で頭をぶたれている。(中略)川にも焼けた人やころされた朝鮮人がぶくぶくあっちへ流れ、こっちへ流れ、其の度にくさくて、くさくてしょうがなかった〉

 〈道のわきに二人ころされていた。こわいものみたさにそばによって見た。すると、頭はわれて血みどりになって、しゃつは血でそまっていた。みんなは竹の棒でつっついて「にくたらしいやつだ。こいつがゆうべあばれたやつだ」と、さもにくにくしげにつばをはきかけていってしまった〉

 虐殺の実態に迫ろうと数百編の作文を読み込み、後藤はあることに気付いたという。「大人が朝鮮人を殺していくさまに心を動かされているのは一編だけだった。流言をもとに朝鮮人や中国人を殺してしまったという罪にいかに無自覚だったかが分かる」。作文が書かれたのは震災の3カ月後から半年後。疑問を感じている様子も伝わらない。

 後藤は続けた。「そうして日本は次なる時代、アジア侵略の時代に向かうことになった」。当時12歳だった小学6年生が徴兵年齢の20歳になるのは震災8年後の1931年。この年に満州事変は起き、さらに6年後、1年生が20歳になった37年、日中戦争は始まった。自らの傲慢(ごうまん)さと差別意識を顧みなかったからこそ、アジア大陸での蛮行や朝鮮半島からのさらなる収奪はなしえたに違いなかった。

差別の扇動


フィールドワークを終え参加者に副読本問題の経緯を語る後藤さん=中村地域ケアプラザ
フィールドワークを終え参加者に副読本問題の経緯を語る後藤さん=中村地域ケアプラザ

 約2時間のコースを巡り終え、参加者の一人が質問した。「歴史を否定する人たちの心理は一体どういうものなのか」。まったく理解できないといった様子に後藤は言った。「日本人はそんな悪いことはしない。大災害が起きても日本人は品行方正。だから悪いことをするのは朝鮮人に違いないという差別意識ではないか」。少なくない日本人が抱いているかもしれない自尊感情は歴史否定の愚劣とも、デマに流された94年前の凶行とも決して遠くないという指摘。「だが、その心理が理解できなくても、歴史をなかったことにすれば、どんなことが起きるかははっきりしている」

 自分たちの問題なのだと感じてほしくて、後藤はフィールドワークの締めくくりに、政府の中央防災会議がまとめた調査報告書「1923関東大震災第二編」の一節を紹介した。

 〈自然災害がこれほどの規模で人為的な殺傷行為を誘発した例は日本の災害史上、他に確認できず、大規模災害時に発生した最悪の事態として、今後の防災活動においても念頭に置く必要がある〉

 最悪の事態とはどういうことか。

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