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体罰の呪縛
「強くなるためには厳しさが必要」 保護者の葛藤

社会 神奈川新聞  2019年07月17日 10:00

判断求められる保護者

 電話越しの息子は泣いていた。止めどなく漏れる嗚咽が切実さを伝える。涙ながらに助けを求めるわが子の姿を想像し、胸を締め付けられる思いでいると、息子の叫びは頂点に達した。

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 もう迷いはなかった。吹っ切れた。息子を救い出すと覚悟を決めた。


我が子の練習を見守る飯田さんの父・隆之さん(右)と伊藤さん夫妻
我が子の練習を見守る飯田さんの父・隆之さん(右)と伊藤さん夫妻

 都内に住む飯田智恵子さん(58)、隆之さん(51)=ともに仮名=夫妻の四男、良二さん(17)=仮名=は中学卒業後に親元を離れ、東海地方の高校に進んだ。野球部に入り、寮生活を送りながら甲子園を目指していたが、入部からわずか2カ月後、指導者から日常的に暴力を振るわれ、暴言を浴びせられるようになった。

 この指導者は中学時代に通った野球クラブの監督だった。高校野球部の指導者に転身するのを機に、「一緒に甲子園に行こう」とスカウトされた。

 良二さんはその言葉を支えに体罰を耐えてきたが、体は正直だった。入部時に体重90キロを誇ったパワー自慢の大型内野手は、食べ盛りのはずが食欲はうせ、9カ月後の年明けには71キロまでやせ細った。みるみるうちにやつれ、目の輝きも失っていくわが子の姿に、両親は居てもたってもいられなかった。

 ある程度の厳しさは覚悟していた。5人きょうだいの末っ子。兄の背中を追って幼少時代からバットを放さなかった。「プロ野球選手になりたい」。野球少年の夢は、いつしか両親の夢ともなり、良二さんの背中を押し続けた。

 智恵子さんは「(指導者は)中学の頃から教えてきたんだから、厳しくなっちゃうのは当たり前だよ」と励まし、隆之さんも甲子園に憧れた自身の青春時代を思い出し、「殴られる程度のことはよくあった」と奮起を促した。

 ただ、電話越しのわが子が発した「SOS」に両親は目を覚ました。脳裏によぎったのは、ある“事件”だった。入部から数カ月後、良二さんが通う高校近くの踏切で他校の野球部員が電車に飛び込み、亡くなっていた。この部員は直前に自校の指導者から厳しく叱責されていた。わが子の「死」は決して杞憂ではなく、十分に起こり得た。退部、そして退学を決めた。

 強くなるためには厳しさが必要―。その呪縛は多くの保護者が共有している。都内に住む伊藤孝司さん(36)=仮名=も長男の翔平さん(17)=仮名=が指導者の無関心という“体罰”に苦しめられるまでは、その1人だった。


伊藤さんが高校時代から愛用するグラブ。ポケット部分をつなぐひもが切り刻まれるいじめ被害に2度も遭った
伊藤さんが高校時代から愛用するグラブ。ポケット部分をつなぐひもが切り刻まれるいじめ被害に2度も遭った

 「高校野球では、選手は指導者と戦わなくてはならない。厳しさへの耐性を身に付けるよう鍛えてきたはずだった」。孝司さんは地元の野球クラブの監督を務める中で、中学生だった翔平さんを指導した。妻の芳恵さん(37)=仮名=いわく、孝司さんは「息子にとって誰よりも怖い存在だった」。グラウンド上でも私生活でも、叱責するときは鬼の形相だった。そこには「将来、厳しい指導者の『圧』にもくじけない選手に育ってほしい」という思いが込められていた。

 それでも、翔平さんの心は折れた。先輩に幾度となく殴られ、口に雑草をねじ込まれ、繰り返しグラブのひもを切り裂かれた。いじめ被害を訴えても指導者や学校からは無関心を貫かれ、揚げ句、度重なる窃盗被害は「管理が悪い。自己責任」で済まされた。誠意のない対応に我慢の限界を超え、2年生の6月に退部、退学した。

体罰止まらぬ「構造」

 学校や教育委員会などへの告発を保護者にとどまらせる壁がある。最たる例が「父母会」だ。

 翔平さんの入部直後、新入部員の保護者が集められ、総監督からこう伝えられた。

 「部内に問題が起こったら、相談、報告の届け出は父母会長にしてください。絶対に学校、高野連(高校野球連盟)には伝えないでください」

 そのルールは体罰“もみ消し”の温床となっていた。孝司さんは息子が被害に遭った野球部寮での週に1度の窃盗や、先輩による度重なる暴力を父母会長に繰り返し報告したが、「まあ、まあ」となだめられるだけだった。対策は講じられず、しびれを切らして学校に告発しても責任を転嫁された。

 「父母会への報告を優先するルールは他の学校にも多くあると聞く。指導者や学校が考えるのは選手のことではなく、自分たちの保身。泣き寝入りした保護者はたくさんいるのではないか」

 残される選択肢は所属する高野連への告発だが、ここでもまたルールが障壁となる。指導者の暴力は指導者個人の責任となるのが一般的だが、部員間の暴力はチーム単位での謹慎や対外試合を禁止される場合がある。

 わが子を守ろうとした孝司さんは「連帯責任になる恐れがあり、高野連には報告できなかった」と振り返る。当時、脳裏によぎったのは、先輩からのいじめに打ちひしがれたわが子を支えてくれ、今でも連絡を取り合う同学年のチームメートたちの姿だった。「迷惑は掛けられない」と、怒りとやるせない思いを胸にしまい込み、沈黙した。

 それは、時として選手たちをも同じ境遇に追い込む。北陸地方の強豪校に通った山田和宏さん(18)=仮名=は、指導者による体罰を周囲に明かせなかった過去を悔いる。

 「(体罰を告発した結果、部員間による)部内暴力まで一緒にばれたら出場停止もありうる」「みんな大会に出るために練習してきたんだぞ。外部には何があっても絶対、体罰を漏らすな」。先輩たちから強く口止めされた。

変化求められる指導者

 「家庭訪問に行くと、必ず『うちの子を厳しく指導して下さい』と頼まれた。今はもう全く聞かなくなったね」。神奈川県立相模原高校(相模原市中央区)の野球部を強豪校に育て上げた佐相真澄監督(60)は、保護者の価値観の変化を肌で感じてきた。

 法政大学第二高校、日本体育大学の野球部で活躍し、卒業後は相模原市内の中学校教員に着任した。「中学野球で全国大会に出る」「校内暴力をなくす」ことを自らに課した。


相模原高校野球部の佐相監督。2015年春の県大会で準優勝を飾った
相模原高校野球部の佐相監督。2015年春の県大会で準優勝を飾った

 教壇に立ち始めた1980年代は、校内暴力が全国的にまん延し、着任校も同様だった。当時の野球部保護者会の会長は「俺たちは、金は出しても口は出すな」と保護者たちに訴え掛け、教員たちの「実力」による解決を後押した。校長からも「『目には目を』。何かあれば俺が守る」と発破を掛けられた。校舎内には教員用のサンドバッグがあり、自主的に空手を習う教諭もいた。

 変化を感じたのは2000年に差し掛かったころ。いじめをしていた生徒を厳しく叱ると、保護者が不満を訴えた。その手にはボイスレコーダーが握り締められ、当時の校長からは「もう時代は変わったんだ」と謝罪を促された。

 05年に高校教諭へ転身し、公立校で甲子園を目指す。体罰は「当然、なくすべきもの」と考える一方、「厳しさ」を欠いた指導を否定する。「ほめて伸ばすだけでは欠点は減らない。『ミスをしてはいけない』という前提が頭にあればミスは減り、強みが際立ってくる」。厳しく指導した中学時代、無名の公立校を全国大会で幾度も表彰台に導いた実績が自負を支える。

 ただ、時代の流れに合わせて厳しさを前面に押し出すのは控え、むしろ保護者をいかに味方に付けるかに心を砕く。

 中学生を指導した20代の頃は、「主力」と「控え」の選手を公平に見極めるためには「指導者が保護者と仲良くすることはもってのほか」と考えていた。しかし、自身の価値観も変化した。保護者の目線になって考え、支えてもらうことでチームも活気づくと考えるようになった。

 練習試合で審判や選手、保護者たちの飲み物を用意する「お茶当番」も禁止するなど保護者の負担を減らす一方、無料通信アプリ「LINE(ライン)」で保護者とこまめにやりとりを重ねる。チームの情報を共有した保護者たちが遠征の宿の手配や活動に掛かった費用の会計などサポートを買って出てくれ、目が行き届かなかった部員一人一人のグラウンド外での日常や自宅での様子が分かるようになった。チームに好循環が生まれ、選手はのびのびとプレーに集中している。

 年に5度、保護者が主催する壮行会などで、飲食店で野球談義を交わしたり、マイクを片手にカラオケを楽しんだりして交流を深める。記念写真が保存されたスマートフォンを手に1枚1枚をめくりながら、目尻を下げてうなずいた。

 「選手と保護者と指導者。みんなが一体となってチームをつくっていく。今の時代に求められている方法だと思うし、今になって新しい楽しみが増えたよ」

(清水 嘉寛)



連載「体罰の呪縛」

 この記事は神奈川新聞とYahoo!ニュースによる連携企画です。部活動を舞台にした体罰の実相に迫ります。


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