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ヘイトスピーチ考
時代の正体〈513〉ジャズを歌う(上)人知れず巡った葛藤

時代の正体 神奈川新聞  2017年08月29日 09:03

情感を込め歌声を響かせるUGさん=ミューザ川崎
情感を込め歌声を響かせるUGさん=ミューザ川崎

【時代の正体=石橋 学】マイクを手にして客席と向き合い、UG(ウギ)(32)は会場の空気が気になっていた。

 〈引いちゃってるお客さんはいないだろうか〉

 歌うは、伝説の黒人女性ジャズシンガー、ビリー・ホリデイがレパートリーにしていたことで知られる「奇妙な果実」。

 「リンチで殺され、木につるされた黒人の遺体を果実に見立て、黒人に対する人種差別をストレートに告発する歌です」

 自分は在日朝鮮人3世だと告げ、歌詞に込められた意味を曲の合間のMCで丁寧に説明してから歌うのがUGの流儀。そして、しっとり歌い上げた恋愛賛歌から一変、体の芯から振り絞るようにして英語の歌詞を響かせていく。

 〈南部の木々に奇妙な果実がある/葉は血に濡(ぬ)れ赤い血が根に滴っている/南部の風に揺れている黒い肉体/ポプラの木々からぶら下がっている奇妙な果実〉

 朗々と続く歌声に、客席を埋めた約130人は固まったように聴き入った。8月19日夜、川崎駅前のミューザ川崎で開かれたジャズコンサート「Jazz for Human Rights 差別のない川崎をめざして」は確かにそのとき、演奏会以上の何かになっていた。

使命



 人権活動家として奔走する傍ら、4年前の2013年冬にジャズを習い始め、ステージに立つようになって2年半になる。

 「生まれ変わって、もしも人権活動が必要ない社会になっていたら歌手になりたい。ただの夢ですけど、と知り合いに話したらジャズクラブを勧められて」

 奴隷だった黒人の音楽が起源だという知識もなかったUGだったが、ジャズの持つメッセージ性に目を見開かされる。「奇妙な果実」はすぐに特別な曲になった。

 「ビリーがこの曲を歌ったのは1930年代後半から40年代半ば。日本が植民地支配していた朝鮮人を自らの侵略戦争に動員するという抑圧がピークに達していたころと重なる」

 有名な曲にもかかわらず、日本人が歌っているところを聞いたことがなく、不思議だった。「何人かのミュージシャンにも、私の先生にも『奇妙な果実』は日本人には歌えないと言われた。歌詞が重すぎるからなのか」。いま、UGは言う。「私だから歌える歌、私が歌うべき歌ではないか、と。歌いたいというより使命感のようなもの。もっとも、あまりに感情移入してしまい、練習し始めのころは泣いて歌にならなかった。しんどさはいまも変わらないのだが」

 何のために歌うのか。自問自答の先にあったのが川崎でのコンサートだった。市内では在日コリアンを標的にしたヘイトデモが繰り返されている。人種差別禁止条例の制定を市に求める市民運動を後押しできないか。「この問題を理解している人だけが集まるのではなく、ジャズが出会いのきっかけになれば、と。10人でも初めて知ることになれば大きな前進になる」

 ヘイトデモの抗議活動に参加したこともある川崎が地元のベーシスト、小杉敏と企画を練った。出演者は小杉に集めてもらい、演奏前には弁護士でヘイトスピーチ問題の第一人者、師岡康子に講演を頼んだ。

 そしてUGはMCにいつも以上の時間を割いた。

 「奇妙な果実はまったく人ごとには思えません」

 岡山の朝鮮学校に通っていた10代半ばのころ、通学途中に嫌悪にまみれた目でにらみつけられたこと。女子生徒のチマ・チョゴリが切り裂かれる事件が相次ぎ、登下校では着られなくなって久しいこと。「朝鮮学校の生徒と分かれば、何が起きるか分からない状況だからです」

 関東大震災では6千人を超えるとされる朝鮮人が虐殺されたこと。凶行を正当化させた「不逞(ふてい)鮮人」という言葉が「いまはヘイトデモの現場で叫ばれています」。

 ことし5月には在日朝鮮人が運営する愛知県内の信用金庫で放火未遂事件があったこと。加害者は「慰安婦問題で悪いイメージを持っていた」と供述していた。UGは慰安婦問題の解決に向けた取り組みにもかかわっており、「本当に身の危険を感じています」。

 コンサートの1週間前には米国で白人至上主義者が差別に反対する人たちの列に車で突っ込み、女性1人が犠牲となっていた。「イベントの意義がますます重くなった。対岸の火事ではないと、きちんと伝えなければと思った」

希望



 ピアニストのソロ演奏と5人によるセッションに続いてトリを飾ることになっていたUGだったが、前日まで5曲分の選曲に迷い、MCで何を話そうか考えていた。

 本番では、話すつもりだったエピソードを一つ割愛していた。愛知での放火未遂事件の後日談だった。事件を知り、不安を知人に打ち明けると、言われた。「そんなことをするのは一部の人だけだから不安に感じることないよ。私には韓国人の友人もいるんだから」。思い過ごしなのだろうか。大げさなのだろうか。そうではないはずだ。「一部の人かもしれないが、その一部の人に私たちは消されてしまうということを分かってほしかった」

 だが、UGは話すのを控えた。マジョリティーの側が声を上げていくことが社会を変え、差別を根絶する力になるのだと説く師岡の講演を真剣に聞く姿が会場で見て取れた、ということもある。「あまりいろいろ言い過ぎても引かれてしまったり、怖いと思われたりするかもしれないから。その恐怖はいつもある」

 初めてではなかった。最初にステージに立った2014年6月、ヘイトスピーチのことを話した。「私は在日朝鮮人で、そういうのに負けないように生きていきたいと思ってます」。拍手が起きて安堵(あんど)したのもつかの間、ステージが終わると男性客が近づいてきた。

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