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酒と涙と男と天ぷら(23)
跡継ぎ バトンランナーは

話題 神奈川新聞  2019年06月28日 02:13

 ウチの周りでは、ソメイヨシノがあっという間に淡いピンクから緑色へと衣替えをし、後を追うかのように、濃いピンクのショールを羽織った八重桜があでやかに咲き誇っています。

 先日、ウチのお寺さん(願成寺)の住職の継承式(晋山式)に出席させていただきました。お父上の興雅師も、めでたく新住職となる雅翔さんも少々緊張気味でしたが、百人のお坊さんの重低音の読経の中、儀式が厳かに執り行われました。お二人を見て、ずっと涙でハンカチをぬらし続けていたおかみさんがとても印象的でした。夫唱婦随は人の心を打ちますよね。継承の重さをひしひしと感じた瞬間でした。

 ウチの店も小さいながら私で五代目になります。子供のころから天キチとか天ドンとか呼ばれ、授業中でも先生が「ハイッ、次、天キチ!」ですもんね。おまけに先生から宴会の予約までいただいちゃって、子供なりに商売を意識してました。


天吉3代目・源蔵氏から、「揚げ」の手ほどきを受ける転身直後の4代目・弘之氏=1970年ごろ
天吉3代目・源蔵氏から、「揚げ」の手ほどきを受ける転身直後の4代目・弘之氏=1970年ごろ

 おばーちゃんなんかウチの店はヘビ年が三代続いているから商売も長く続くなんて言っちゃあ、九十四歳で亡くなるまで毎月、親にナイショでおこづかいをくれてました。私も約束ですから親にはひと言も漏らしませんでした。絶対に「返せ!」って言われますからね。妻や母、妹からすると、こういうところをズルイとか調子イイとか言うんでしょうけど、実は口が堅く、状況判断に優れていた? わけです。商人の血ィですから。

 父は四十歳まで会社勤めをしていて、当時、部下も三十人ぐらいいたそうですけど、おじいちゃんに呼び戻されて、否も応もなく戻りましたからね。継承の重みでしょうな。晩年、父の口癖はつえついてやっと歩いているときでも、「商売が悪くなったら、二人で屋台引っ張ってもう一度初めからやり直せばいいんだよ」でした。でも実は、父は私に継承の重さとその覚悟を伝えたかったんでしょうね。父の四十歳からの転身はさぞ勇気のいたことだと思います。父上、あっぱれ!

 私も周りの人たちに支えられながら、なんとか家業を継いでいるわけですが、五年前に父が亡くなったとき、父が大好きだった横濱屋の山本社長さんに商売を続けることの大切さを教えていただきました。「バトンランナーは倒れてはいけない。無理をしてはいけない。バトンを次に渡すまでは」。この言葉で気持ちが楽になりました。「なんだー、俺ってバトントワラーなんじゃん」。エッ! 違うの?

 ウチの六代目のバトンランナー予定者も音楽で身を立てたいとか、楽器店に就職したいとか言ってましたが、周りから少しずつはしごを外され、今フランス料理店ミエールで修業中です。私もそろそろ息子にこう言うときが近づいてきたようです。「商売が悪くなったら、二人で荷車引っ張って逃げようぜ」。まだまだ修業が足りません。

(2005.5.1)



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