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湯本~強羅開通100年
箱根登山鉄道の軌跡(1)箱根にスイスのような登山鉄道を

話題 神奈川新聞  2019年06月13日 21:48

敷設決定(1910年)

 「わが国発展策の一案として、海外観光誘致のため風光明(めい)媚(び)な箱根の山にスイスのような登山鉄道を敷設すべきだ」

名士の提案機に


工事が進む箱根湯本駅周辺(右側)。左側には既設の電気軌道線が走っている=大正初期(箱根登山鉄道提供)
工事が進む箱根湯本駅周辺(右側)。左側には既設の電気軌道線が走っている=大正初期(箱根登山鉄道提供)

 1907(明治40)年、スイスの登山鉄道を視察して帰国した名士が政財界の有力者に訴えた。名士の正体は不明だが、この案を聞いた地元の小田原電気鉄道(現箱根登山鉄道)が計画を積極的に進めることになり、10(明治43)年の臨時株主総会で箱根湯本~強羅間の登山鉄道敷設が可決された。

 明治期後半の箱根は、同社の電気鉄道が国府津から湯本まで伸びる一方、宮ノ下や芦之湯、箱根町(当時)を結ぶ新道(現国道1号)が開通して横浜の外国人が自動車で遊びに来るようになった。原野が広がっていた強羅地区は、同社が温泉付きの別荘地として売り出していた。

高低差444メートル

 ルートは3案が検討され、湯本から大平台、宮ノ下を経て強羅に至る全長7・1キロのルートが選ばれた。距離は一番短いものの、地形的に数多くのトンネルを開削しなければならなかった。

 さらに、湯本と強羅の高低差は444メートルに及ぶ急勾配。当初予定していた、機関車の歯車をかみ合わせて運転するアプト式を不安視する声が強くなった。同社は12(大正元)年に主任技師長を欧米に派遣して設計を再検討した結果、車輪とレールの摩擦を応用して登る「粘着式」を東洋で初めて採用することを決定。出山、大平台、上大平台の3カ所に折り返し式のスイッチバック線を設け、全長は最終的に8・9キロに伸びた。

 「箱根の山はわが国唯一の登山鉄道が開通し、山上山下の交通上に一大センセーションを起こして観光ルートを一変するに至らしめた」。箱根登山鉄道の所蔵資料が記すように、箱根湯本~強羅間の開通は大きなインパクトを与えた。1919(大正8)年6月の開通から100年。同社の文献や関係者の話を基に、「天下の険」を走る山岳鉄道の軌跡をたどる。

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