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レジェンド語る
谷繁元信氏(上)「プロ集団だった」

ベイスターズ 神奈川新聞  2019年06月05日 12:05

1998年10月26日、横浜スタジアム
1998年10月26日、横浜スタジアム

 プロ野球史を代表する名捕手は、ベイスターズでの苦闘の先にあった1998年の歓喜の瞬間を今でもはっきり覚えている。27年間のキャリアで歴代1位の3021試合に出場した谷繁元信氏(48)は、勝って泣いたゲームはあの日が人生で初めてだったという。13年間在籍し、プロ生活の礎を築いた古巣への思いは“司令塔”らしく今でも鋭かった。

 期待の大型捕手はBクラスが定位置だった横浜大洋で、高卒1年目の開幕から1軍でプレーした。大物ルーキーとして、脚光を浴びることになった。

 谷繁 まず僕が入団した時点で、優勝争いをしているチームではなかった。正直、ホエールズの魅力は僕の中では全くなかった。ドラフトで指名してもらったので入団するしかない。そこから始まった。最初はとにかくレギュラーになりたいという思い。先輩は全員年上だし、自分の力もそんなにあると思っていなかった。とにかく一試合一試合、必死にやっていく。1、2、3年目くらいにようやく「弱いな」という感情が出てきたが、今のままでは戦力外になる。そっちの方が気持ちは強かった。

 チームが横浜ベイスターズに生まれ変わった5年目の93年は、大矢明彦がバッテリーコーチとして加わったこともあり、捕手谷繁にとって大きな転機になったという。114試合に出場して正捕手の座を手中に。96年にはポジションを不動のものとし、勝利への欲がさらに高まった。
 
 谷繁 それまでは自分のことで精いっぱい。チームの勝利は監督、コーチが考えることだった。レギュラーになってから、勝つために何をしないといけないか考えるようになった。2位になった97年。とにかく、このチームで優勝したいという思いが強くなった。97年のオフにはフリーエージェント宣言もしたけど、一切出る気もなかった。

 下積みを積んだ仲間、同世代がみんなやっと力を付けてきて、勝負ができるチームになった。みんなで苦労してきた、強くなってきたチームでとにかく優勝したかった。少しずつ評価も上がってきたけど、優勝しないと評価も得られない。とにかく優勝したかった。

 プロ10年目。38年ぶりのリーグ優勝への機運の高まりを感じていた98年に、若き投手陣も引っ張り、いよいよその時を迎えた。リーグ優勝の瞬間も、日本一が決まった瞬間も、マスクを取ることを忘れてクローザーの佐々木と無我夢中で抱き合った名シーンは、今でも語り草となっている。

 谷繁 あのシーズンはいろんな試合があったけど、やっぱり(甲子園でリーグ優勝を決めた)10月8日だよ。勝って泣いたのは初めて。それまでの苦労やきつかったことが報われた。素直にうれしかった。ほされそうな時期もあったし、大矢さんとの思い出とか、どんどんあふれた。抱き合ったのも、どうやってやればいいか分からなかった。ぎこちなかったね。今、思うと。

 歓喜に沸いたファンの誰もが、輝かしい未来、ベイスターズの黄金時代が待っていると思っていた。しかし、連覇の夢はかなわなかった。


OBとして古巣への思いをストレートに語った谷繁氏
OBとして古巣への思いをストレートに語った谷繁氏

 谷繁 日本一になった達成感から、次の年のキャンプから、どこか緩い気持ちがあった。優勝も日本一も初めて。どういうモチベーションで挑めばいいのか。オフの間も達成感で満たされていたし、キャンプが始まってからも、メディアも増えて注目度も違う。これが優勝した効果かな、と。

 4月に出遅れて、このままじゃ駄目だと、一回チームで締めたんだよ。ちょっとずつ盛り返したけど優勝には届かなかった。それでも、99年のチーム打率は(歴代1位の)2割9分4厘…。俺、打率2割9分5厘でぎりぎり超えたんだ。あの打線で(順位は)リーグ3位。ある意味、すごいよな。

 守護神佐々木をはじめ、ローズや駒田といったベテラン、石井琢や佐伯ら同年代、さらに鈴木尚や三浦といった若いチームメートがそろい、常勝チームになると思われたが、頂点は遠のいていく。

 谷繁 普段はほとんどつるむこともなかった。グラウンドに出て、プレーボールが掛かる直前になったら集中する。ある意味、プロ集団だった。みんな30歳前後で、本当に良い時期だった。正直もう1回くらいは優勝したかった。権藤監督の時代は自主性を尊重されながら、自分たちにも責任がかかっていた。楽しさと厳しさがあったが、監督が交代するなど徐々にそのバランスが崩れ、良さが薄れてしまった。
 
 2001年シーズンを最後に、谷繁は横浜から去ることを決断する。正捕手を失ったベイスターズにとって、なかなか抜け出すことのできない暗黒時代の始まりだった。

「もう駄目だ」はない

 今後、更新されないであろう歴代1位の3021試合出場。野村克也(3017試合)、王貞治(2831試合)らを超え、球史にその名が刻まれる勝負師は、記者が差し出した色紙に「無上」と書き記した。

 「とにかく上を目指せということ。終わりがないんですよ、野球をやめるまで。そう思い続けていかないと、体も動いてこないし、どこかで諦めてしまう。野球選手に『もう駄目だ』はないんですよ」

 プロ野球選手になった18歳のころ、自分が45歳までプレーすることを「1ミリも想像していなかった」と笑ったレジェンド。飽くなき向上心と強固な意志が、丁寧に書かれた2文字に宿っているような気がした。


 たにしげ・もとのぶ 1988年に島根・江の川高(現石見智翠館高)からドラフト1位で横浜大洋(現横浜DeNA)に入団。勝負強い打撃と強肩で98年に正捕手として134試合に出場、悲願のリーグ優勝と日本一を経験した。2002年に中日移籍後も、正捕手として4度のリーグ優勝に導く。15年に引退するまでの27年間で歴代1位となる3021試合に出場。14、15年は選手兼監督を務め、監督専任となった16年シーズン途中で退任した。現在は野球評論家。広島県出身。48歳。


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