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平和つなぐ 空襲74年
横浜(下)存亡危機の遺族会 継承を阻む高齢化

社会 神奈川新聞  2019年06月03日 17:00

尚子さんの刻銘に触れる藤城毅光さん=横浜市中区
尚子さんの刻銘に触れる藤城毅光さん=横浜市中区

 雨上がりの蒸し暑さに包まれた平和祈念碑(横浜市中区)の内部は、涼やかに静まっていた。横浜大空襲から74年を迎えた29日。つえを突いて現れた藤城毅光(よしみつ)さん(83)は、額の汗をぬぐい、891人の犠牲者を記す銘板と向き合った。

 「ことしも会いに来たよ」。母親、姉、弟、妹2人、叔父、使用人2人。一家8人の氏名と享年が御影石の右上部に刻まれている。おもちゃ問屋だった伊勢佐木町の実家が被災し、箱根に学童疎開していた当時8歳の藤城さんと、留守だった父親のみが災禍を免れた。

 藤城さんは疎開先で8人の訃報に触れたが、いずれの遺体も発見されず、ずっと事実を受け入れられなかった。「ひょっとしたら、どこかで生きながらえているんじゃないかなって」。44歳で結婚した妻と子ども3人にも、空襲体験はかたくなに打ち明けなかった。「死別を認めることになるから」

 並んだ6人目の刻銘を優しくなでると、藤城さんの瞳は潤んでいた。そこに「藤城尚子 2」とあった。

 数え年で2歳だった末っ子の妹。父親は空襲後に再婚し、尚子さんの存在は戸籍にも残されていない。藤城さんが大切に持ち歩いている白黒写真が、唯一の記録という。おくるみに包まれ、愛らしく収まっていた。

 まだ足取りは頼りなく、誰かにおぶわれて避難したはずだ。その混沌(こんとん)さえも知れず、巻き込まれた恐怖を思うと、やりきれなくなる。「生きた証しを残さなければ、妹は浮かばれない」。戦後60年が経過して悟った。空襲体験の伝承が、残された兄としての天命ではないか、と。

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